平成24年 3月 5日(月):初稿 |
○私は,基本的に下戸でビール一杯で顔が真っ赤になります。平成11年11月6日に87歳で亡くなった父は、漁師で大酒飲みと言われており、平成24年2月現在90歳の母は、酒を飲んでも顔には出ず,基本的には酒に強い体質です。両親とも酒に強いのですが、長姉は私と同じで少しのアルコールで顔が真っ赤になり、次姉は顔には全く出ないアルコールに強い体質です。 ○父は、大酒飲みと母が評価していましたが、結構、顔には出て、酒を飲んだときは,真っ赤な顔になり、また、態度もスッカリ変わり、酒を飲み,酔っていることが直ぐ判る人でした。15歳で漁師となり65歳で引退するまでの50年の漁師生活では、一年の大半を洋上で過ごし、陸に上がるのは、通算しても平均して年に1,2ヶ月だったと思われます。 ○現在の漁船には、テレビやビデオが入り、且つ、おそらくインターネット等も使えて、陸にいるとそれ程変わらない楽しみがあると推測できますが、父が漁師をしていた頃の、漁船内ので楽しみと言えば、お酒を飲む位で、漁師になると必然的に酒に強くなり、大酒飲みになるのが一般的でした。おそらく父も,顔が赤くなることから余りアルコールに強い体質ではなかったものが、長年、鍛えられて結果として大酒飲みになったと思われます。父は一晩で日本酒一升瓶を空ける大酒飲みとなり、晩年、漁師を辞めてからも、毎晩、日本酒2,3合の晩酌は欠かしませんでした。 ○昔の大酒飲みは,酔った後の言動が、酒が入ったことだからと大目に見られ、今で言えばDVだと厳しい評価を下されることが堂々とまかり通っていたようです。父は普段は、口数も少なく、借りてきた猫のように大人しいのですが、酒が入って酔いが回るとコロッと人が変わり、気が大きくなってクドクドと絡むようになり、面倒な状況になったのをよく覚えています。母が文句を言うと、手を挙げることもしばしばで,今で言うとDVと評価される事態もよくあったようです。 ○そのため母は、酒を飲んだ父に手を焼いては、幼い私に「亀一や、お前だけは父ちゃんのような酒のみにはなるな!」と繰り返し暗示をかけてきました。その成果があったのか私は、アルコールに弱い体質となり、コップ一杯のビールで真っ赤になり、アルコール許容限度は、ビールで言えば、中ジョッキ2杯程度で眠くなり,飲めなくなります。 ○しかし、それでもビールは大好きで、特にテニス練習後のビールは欠かさず、この練習後のビールの旨さを味わうためにテニスをするような感じでした。土日祝祭日の早朝練習後、午前10時頃のファミリーレストランでのブランチでは先ずビールで喉を潤してから始まり、このビールの旨さは何物にも代え難いとさえ感じていました。また、夕食時もビールは欠かさず、味噌汁と同様にビールを飲みながら夕食を取り、土日祝祭日はブランチを含め、一年365日ビールを欠かさなかったところ、日本酒やワインのようにビールより強い酒は,殆ど飲むことはありませんでした。 ○ところが、平成23年12月、ファミレス「ビッグボーイ」で一杯100円ワインを、寒さも厳しかったことから、一杯くらいなら良かろうと、直ぐに身体の温まりそうな赤ワインを飲み始めました。一杯飲むと大変美味しく感じて二杯注文するまでになり、これをきっかけに、自宅での夕食時もワインを飲むようになり、すると不思議なことにあれほど好きだったビールの味が恋しくなくなりました。ワインの方がズッと美味いと感じるようになったのです。 ○従前、畏敬する石原結實医師の著作で赤ワインを強く薦める記事を読んでいたこともあり、最近、濱野吉秀著「ワインの力 ポリフェノール・延命力の秘密」なんて本も購入して読み始めました。「古来、ワインは薬だった。一日二杯の赤ワインで認知症を防止。」なんてワインのキャッチフレーズに、これからワインに填りそうです(^^)。 以上:1,586文字
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