| 令和 8年 1月 1日(木):初稿 |
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○会員限定記事で恐縮ですが「婿養子の義兄と共に気仙沼実家を継いでくれた実姉に感謝の一言」記載の通り、令和7年8月25日、私の10歳上の長姉節子が死去し、令和8年1月1日現在喪に服しており、新年のご挨拶は控えさせて頂きます。服喪中元旦を迎えるのは「令和3年元旦-喪中ですがご報告はいつも通りいたします」記載の通り5年ぶりです。気仙沼の実家で共に過ごした直接の家族のうち4人が鬼籍に入りました。 ○喪中の挨拶は以下の通りですが、84歳で亡くなったのに80歳と誤記して喪中葉書を送り、長姉の長男から叱られました(^^;)。これも老化現象でしょうか。長姉は、私とは丁度10歳違いですが、大変情の深い人で、幼児時代から時に母親代わりにもなり私を支えてくれ、両親にも最後まで尽くしてくれました。喪中葉書を受け取った複数の方から、わざわざお悔やみの返事を頂き、中には香典や供物を送ってくれた方も居て、恐縮いたしました。 ○令和6年は幸いカゼをひくこともなく、つつがなく過ごせたと思っていましたが、「恒例令和7年忘年会雑感-緑水亭で3回目宴会形式で開催2」記載の通りあわや大惨事になりかねない神の警告を受ける出来事がありました。また12月8日、片手に荷物を持ってはしご階段を下りる時、途中で手が外れて、落下して臀部を強打して、3週間ほど臀部に痛みが続き、ストレッチ・筋トレ運動の支障となる小さな惨事もありました。兎に角、老化が進んでいることを痛切に自覚し慎重行動に徹しなければなりません。 ○令和8年は誕生日を迎えるといよいよ後期高齢者です。いつも記載していますが、「頭と身体は動かし続けないと錆びて使い物にならなくなる」との言葉を、シッカリと自覚して、日々、「頭と身体を動かし続ける」努力を継続して行きます。 ********************************************* 喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。 本年中は、大変お世話になりました。 令和7年8月、長姉小松節子が80才(※84歳の誤記)にて永眠しました。 私事で恐縮ですが、長姉節子は、昭和40年に義兄小松正夫と結婚し、正夫と家督夫婦として、父亀治郎・母なつ子を令和2年に亡くなった夫正夫と共に最後まで面倒をみてくれました。 私が、司法試験受験を目指し、長い受験勉強に専念できたのは、長姉夫婦のお陰でもあり、また、私が1回目の結婚に破れて失意の時に、よく仙台に訪れ私の面倒をみてくれ、さらに、最後まで両親の面倒見てくれたことに心より感謝しています。 我が弁護士業界は大変厳しい状況で、私の事務所も仕事は激減していますが、もう少し、弁護士稼業は継続して行きたいと思っております。 来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 令和7年11月 小松・畠山法律事務所 弁護士 小 松 亀 一 以上:1,185文字
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