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2025年05月16日発行第389号”終わり良ければすべて良し? ”

令和 7年 5月17日(土):初稿
○横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの令和7年5月16日発行第389号「終わり良ければすべて良し?」をお届けします。

○「終わり良ければすべて良し」とは1603年から1604年頃にシェイクスピアが書いた戯曲とのことですが、ボッカチオ作「デカメロン」の中の挿話に基づいているとウィキペディアで解説されています。勿論、私は、シェイクスピアもボッカチオも全く読んだことはなく、読もうなんて気持も全くありません(^^;)。大山先生の幅広い探究心・好奇心にはただただ脱帽です。

○人生における楽しみとその時期がテーマになっていますが、年をとって仕事も減り、打ち込むものが少なくなると、何かに打ち込んでいるときが一番楽しかったと感じます。50年前司法試験受験勉強に打ち込んでいるときも、あれやこれやと工夫しながら、法律知識を少しずつ積み重ねていく作業は、苦しみというより楽しみだったようにも感じます。弁護士になってからは、次々と入ってくる仕事を、如何に合理的・効率的にこなすかを考え、たまたま出会ったデータベースソフト桐を活用して桐による事務処理システムを考えることに没頭した時期は、ホントに楽しかったと感じます。

○弁護士業務で最も打ち込んだのは保険会社相手の医学論争を含む後遺障害による損害賠償請求事件ですが、色々医学文献を買い込んで、熟読し、主治医等に質問をして教えを請い、熱心に取り組んでいたときも当時は大変だと感じていましたが、そのような事件が激減して殆ど無くなった今は、あの時は楽しかったと実感します。要は、打ち込んで、その完遂を目指してて没頭するなにかがあることが重要で、それが人生における楽しみであり、年をとってもその楽しみを維持する努力が重要ですが、歳をとって打ち込むものがなくなりつつあるのが辛いところです。

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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

終わり良ければすべて良し?

「終わり良ければすべて良し」は、シェイクスピアの「喜劇」ですが、これを見て素直に笑える現代人はいないでしょう。父親譲りの医術で国王を治療した主人公の女性は、褒美として思いを寄せる男性との結婚を国王に命じてもらいます。しかし男性の方は「こんな身分の低い女と結婚するなんてとんでもない」と逃げ回ります。そんな男性を無理やり捕まえて、最後に結婚するという話です。「近代文学は結婚で終わり、現代文学は結婚から始まる」そうですが、シェイクスピアの時代ですと、「結婚」で終わりですから、何はともあれ結婚できた以上「終わり良ければ」になるようです。

しかし、自分を愛してくれない男と無理やり結婚できたからと言って、「すべて良し」になるとは思えない。二人のその後の結婚生活を予想すると、喜劇ではなく悲劇に思えてしまうのです。もっとも、「結婚」が終わりでないなら、何をもって「終わり」とすればよいのかを考えてしまいます。中国の古典には「棺を蓋いて事定まる」なんてものがありました。人は、死んで棺桶に入って初めて「終わり」が良かったか決まるということのようです。確かにそんな気もしちゃいます。ギリシャ神話にも、偉大な功績を挙げた人が、神から褒美をもらえるという話がありました。その人は、最後まで幸福に暮らしたいと望んだんですね。この望みに対して神は、その場でその人の命を奪うことで応えたという話です。「ど、どういう落とし噺だよ!」と思わず突っ込みを入れたくなります。

でも、多分、古代のギリシャ人にとっては、これは素直に良い話として認識されていたんでしょう。こんな風に、ことさら「終わり」を早めたりするのは受け入れることはできませんが、現代人も「終わり良ければすべて良し」という考え自体は、認めているように思うのです。「若いときの苦労は、買ってでもしろ」なんて言いますよね。若いころに苦しんでも、年をとってから安楽な生活を楽しんだ方が良いという思想です。だからこそ、青春時代に無味乾燥な受験勉強を頑張って、一流大学から一流企業に行こうとするのでしょう。他人事みたいに書いてますが、私もそういう考えで過ごしてきました。若いころに遊んでいたら、「終わり」は良くないぞと、ついつい自分の子供には言いたくなります。

でも考えてみると、何故「終わり」をそんなに重視する必要があるのか不思議な気もするのです。「若いころに沢山楽しんだ代わりに年とってから苦労する人」と「若いころに苦しんだ代わりに、年を取ってから楽をする人」を比較すると、人生におけるトータルの楽しみは、同じように思えます。若くて元気なうちに楽しんだ方が、どちらかと言えば「得」をしたのでは、とさえ思ってしまうのです。そういえば、少し前に世界的なベストセラーになった「Die with Zero」なんて本がありました。イソップの有名なアリとキリギリスの話を引用します。若いころに遊び暮らしたキリギリスが最後に不幸になった話ですが、それなら若いころから働き詰めのアリは、一体いつ楽しんだのかと、問題提起しています。「終わり」をよくすることだけを考えるあまり、「今」を犠牲にするなということだと思います。

ということで、弁護士の仕事です。弁護士に依頼する人は、「無罪にして欲しい」「訴訟に勝って欲しい」みたいな希望があるわけです。それが達成できれば、まさに「終わり良ければすべて良し」になりそうなんですが、現実はそんなに簡単ではないのです。例えばうちの事務所でも、顧問先の民事訴訟を引き受けた場合、勝訴したのにもかかわらず、その直後に顧問契約終了となるケースは何度もありました。一方、負けたにもかかわらず、それまで通り信頼してもらい、顧問継続という事案も沢山あります。この理由は単純ではないですが、「終わり」に至るまでの過程で、信頼関係を築くことの大切さは間違いないようです。「終わり」はもちろん、「過程」も大事にしていきたいのです。

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◇ 弁護士より一言

連休は家で、ベートーベンの同じ曲を、様々な演奏家のCDで聴き続けてました。改めて思ったのは、「ベートーベンはしつこい!」ということですね。全曲3分の2くらいに簡略化したら、もっとみんな聞くようになるのではと考えてしまったのです。あ、あほか。。。 家族には呆れられましたけど、連休最後に皆でご馳走を食べて、終わり良ければすべて良しだったのです。

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