平成21年 9月 3日(木):初稿 |
○平成21年9月1日、おそらく旧61期司法修習生らの司法研修所卒業試験があり、23名が不合格になったとの以下のニュースを見ました。 <司法修習生>卒業試験で23人不合格 07年旧試験組ら 9月1日20時13分配信 毎日新聞 最高裁は1日、07年の旧司法試験に合格した司法修習生ら377人が受けた8月の卒業試験で、23人(6.1%)が不合格になったと発表した。過去に不合格とされた再受験者は114人で、14人が再び不合格になった。06年の旧司法試験に合格した司法修習生ら642人が受けた昨年8月の卒業試験では33人(5.1%)が不合格だった。 修習生は卒業試験に合格しなければ判事補や検事、弁護士になれない。不合格者は修習生の身分を失うが、書面審査などで再び修習生に採用されれば再受験できる。 ○試験の結果を聞くのはホントに辛いものです。司法研修所卒業試験は、2回試験と呼ばれ、法曹資格を得るための最後の試験です。我々の頃は、30年以上前の話ですが、司法修習生400数十人中、数人が落ちるだけでした。100人に1人も落ちない即ち余程不勉強でない限り落ちない試験と言われましたが、合格率1%台の難関を突破してきた司法修習生の中ですから、自分が落ちるのではと大きな不安を持つ試験でした。 ○それが最近の2回試験では不合格率5,6%に上昇し、50人に1人以上は落ちるようになっているとのことで2回試験受験生の不安は相当なものと思われます。ですからその結果を見るときの不安と緊張は大変なものと思われます。その結果発表のニュースを見て、私の人生で最も結果発表が不安であった試験の発表時を思い出しました。 ○それは司法研修所2回試験ではなく、司法試験の口述試験即ち最終発表です。択一(短答)式、論文式、の2関門をくぐり抜けると最後に全科目についての口述試験が、中休日を入れて10日間程かけて行われました。受験者10~20人に1人くらいしか落ちない試験と言われましたが、受験中のプレッシャーたるや大変なものでした。私の場合、郷里気仙沼で1人で受験勉強を続けたので司法試験受験仲間での口頭での法律論遣り取り経験がなく、且つ、シャイで口下手を自覚していたので一層不安感が強いものでした。 ○その不安が的中し、商法と心理学で殆ど答えることが出来ない大失態を演じ、大変な不安を抱えて昭和52年10月8日の発表時を迎えました。以下、昭和52年10月18日の私の日記です。 ************************************* 13日ぶりに記録をつける。10月5日最終日の心理学を失敗し、口述試験の恐ろしさをいやという程、思い知らされ、発表が不安でたまらなかったが、何とか切り抜け、10月8日無事最終合格者に名を連ねることができた。 発表の日は午後2時に高校時代以来の友人Aと東京駅で待ち合わせた。発表予定は5時。時間があるので上野でポルノ映画を見てから発表場所である霞ヶ関駅に向かう。さすがに不安がつのり、電車が霞ヶ関駅に近づくにつれて腹具合がおかしくなる。我慢できずトイレに行く。しかし駅内トイレには紙がない。あいにくちり紙の持ち合わせもない。しかたがないので売店を探してウロウロしていた。そのときひょっこり東北大の1年後輩で論文を一緒に受けたB君が奥方を連れて現れた。 彼は「おめでとうございます」と言う。その時は5時15分前。発表は5時だからまだないはず。おかしいなと思う。彼にまだ発表時間ではないだろうというと、彼は「いや4時15分頃発表になり、小松さんは間違いなく合格しています」と言う。一瞬、全身の力が抜けた気がした。やったか!とうとうやった!最後の最後に苦しめられただけに、喜びも大きく、ついB君の肩に抱きついた。 それから、Aと二人で法務省まで必死になって走った。掲示板に前には予想外に人が少なかった。間違いなくある。437番小松亀一。 試験中に友達になったC君、D君の名前もあった。良かった。3人一緒に松戸の独身寮に入ろうという希望もかなえられた。5時10分頃姉にTEL。直ちに家に電話するように依頼。そして、姉、旦那さん、子供達と○○駅で待ち合わせて、多摩川高島屋でAを含めて5人で会食。さすがにワインも食事もうまかった。ここで、腹具合が治っていることに初めて気付く。食事後、姉のアパートに帰って、次々とお世話になった方々へTEL。さすがにその夜は興奮して眠れなかった。 以上:1,824文字
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