令和 7年 5月29日(木):初稿 |
○老人保健施設内での転倒事故について施設の責任を問えるかどうかの質問を受け裁判例を探していると最近の判例として障害者福祉施設での事故について損害賠償請求が認められた令和6年1月31日横浜地裁判決(LEX/DB)が見つかりましたので、関連部分を紹介します。 ○被告法人の運営する障害者総合福祉施設に入所していたCが同施設職員の過失により死亡したとして、Cの母である原告が、被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づき、損害賠償金等として約4256万円の支払を求めました。 ○これに対し横浜地裁判決は、被告施設職員は、てんかんを持つCにけいれん発作が持続していることを認識した場合は、10分以内に救急要請すべき注意義務を負っていたというべきであり、それを指示しなかった上司の判断は不適切というほかなく、被告施設職員らは、同注意義務に違反した過失があったと認められるし、被告施設職員が前記注意義務を果たしていれば、Cが死亡した時点で生存していたであろう高度の蓋然性があったといえるから、被告施設職員の過失とCの死亡との間には因果関係が認められるとして、約3587万円の支払を命じました。 ********************************************* 主 文 1 被告は、原告に対し、3587万2491円及びこれに対する平成30年12月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告のその余の請求を棄却する。 3 訴訟費用はこれを5分し、その1を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。 4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 被告は、原告に対し、4255万9718円及びこれに対する平成30年12月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 本件は、被告の運営する障害者総合福祉施設に入所していたC(以下「C」という。)が同施設職員の過失により死亡したとして、Cの母である原告が、被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づき、損害賠償4255万9718円及びこれに対する不法行為日である平成30年12月15日(又は訴状送達日の翌日である令和4年6月2日)から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 1 前提事実(当事者間に争いがないか、掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる。) (1)当事者等 ア C(平成2年○月○日生)は、平成30年12月16日に死亡した。原告は、Cの母であり、その唯一の相続人である(甲C1の1・2)。 イ 被告は、障害者総合福祉施設貴峯荘湘南の丘(以下「被告施設」という。)を運営する社会福祉法人である(甲C2の1)。 ウ 被告施設は、常時介護を要する重度障害者に対し、利用者個々の特性に応じた介護、訓練、医療等の必要な支援を行う施設であり、平成30年当時、その管理運営規程上、施設長及びサービス管理責任者各1名、非常勤医師2名、専従看護職4名、その他スタッフ40名余りが配置されていた(甲C2の3)。 (2)事実経過 (中略) 第3 当裁判所の判断 1 認定事実 上記前提事実に加えて、証拠(括弧内に記載したもの)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められる。 (1)平成30年12月15日の事実経過 ア Cは、被告施設食堂において夕食時に本件発作を起こし、自ら手を挙げてけいれんを訴えた(甲A6)。被告施設職員は、午後6時48分にCが全身けいれん発作を起こし、声掛けに応じないことを確認し、午後6時55分にCをその居室のベッドに移した(甲A5、6)。 イ 被告施設職員は、午後6時58分にCの眼球が左右に転じ、鼻呼吸が荒く、泡を吐いていることを確認し、午後7時に居室の温度を上げてCの体を温めた(甲A5)。同職員は、午後7時02分にCのけいれんがなお継続していることを確認し、他の職員に報告するとともに上司の指示を仰いだが、午後7時28分に被告施設サービスの全体を鑑みて様子を見るようにという指示を受けたため、Cの居室ドアを開放したまま適時訪室する形をとることにした(甲A5)。 ウ 被告施設職員は、午後8時にCのけいれんがなお治まらず、多量の唾液を出し、意識混濁が続いているのを確認し、改善の目処が立たないとして再び上司に連絡した。午後8時15分に救急要請の指示が下り、同職員は、午後8時26分に救急要請した(甲A5、10)。 エ 救急隊が午後8時33分に被告施設に到着したが、Cは、意識障害(痛み刺激に全く反応しない状態であるJCS300)があり、けいれんが顔面及び四肢に持続し、チアノーゼを呈して呼吸は浅く早い状態(SpO2値56%)であった(甲A10、11の1、B8の1)。救急隊により、用手的気道確保処置及び10Lの酸素投与が行われたが、Cは、午後8時39分に眼球が上転し心肺停止となり、救急隊による胸骨圧迫及び換気による心肺蘇生処置が開始された(甲A10)。 オ Cは午後8時40分に平塚市民病院へ搬送され、午後8時42分に同病院に到着し、午後8時43分に救急隊から同病院医師へ引き継がれた(甲A10)。同病院医師の治療により、午後8時54分に自己心拍が再開したが、その後3回ほどPEA(無脈性電気活動)となり、意識状態が改善することはなく、翌16日午前6時29分に死亡した(甲A11の1、A12)。 (2)Cの死亡の機序に関する所見 (中略) 2 争点1(被告施設職員の過失(注意義務違反)の有無)について (1)前提事実(1)ウの事実から、被告施設には、平成30年当時、重度障害者に対する医療等の必要な支援を行うため、医師、看護職、その他スタッフ等相当数の職員が配置されていたと認められる。そして、証拠(甲C2の3)及び弁論の全趣旨によれば、被告施設の管理運営規程上、職員は、利用者の病状の急変その他緊急事態が生じたときは、速やかに嘱託医に連絡する等の措置を講じ、嘱託医への連絡等が困難な場合は医療機関への緊急搬送等必要な措置を講ずるものとされていたこと、また、被告施設にはけいれん発作の持続に対して有効な治療ができるような医療体制が構築されていなかったことが認められる。 (2)また、前提事実(2)ウからカのとおり、〔1〕Cの入所に際し、第1回発作及びそれ以降の抗てんかん薬の服用の事実が被告施設に伝えられたこと、〔2〕被告施設医師からCに同薬が処方されるとともに、利用者台帳等を通じて被告施設内でCのてんかん及び抗てんかん薬の服用に関する情報が共有されたこと、〔3〕第2回発作を受けて、Cに対する抗てんかん薬の処方が強化され、救急搬送の経緯及び同様の症状が現れた場合は今回のように救急要請し救急隊到着までは気道確保及び状態観察に努めることという平塚市民病院医師の説明が、被告施設職員(主任)から被告施設に対して報告され、Cの看護記録にもそのような対応方針が記載されたことが認められる。 (3)医師の上記説明は、認定事実(3)ウのとおり、てんかんのけいれん発作が5分以上持続する場合はてんかん重積となる可能性が高く、直ちに気道確保、酸素投与、ジアゼパム投与による治療を開始することが求められるという医学的知見を前提に、上記(1)のような体制を持つ障害者福祉施設において、必ずしも上述のような医学的知見を持たずとも、同(2)のCに関する情報を共有している職員であれば、具体的にとることが可能であり、またとるべき対応を述べたものと考えられる。そして、前提事実(2)オのとおり、第2回発作時の救急要請が発作発生から約9分で実施されていることからすれば、それと相違ない時間内での速やかな救急要請を求めたものと理解できる。 (4)上記(1)から(3)の事実を考慮すれば、被告施設職員は、てんかんを持つCにけいれん発作が持続していることを認識した場合は、10分以内に救急要請すべき注意義務を負っていたというべきである。 そして、認定事実(1)ア及びイのとおり、被告施設職員は、午後6時48分にCが全身けいれん発作を起こし、声掛けに応じないことを確認し、それから10分経過した午後6時58分にCの眼球が左右に転じ、鼻呼吸が荒く、泡を吐いていることを確認したのであるから、その時点で救急要請すべき注意義務を負っていたといえる。 しかし、同ウのとおり、被告施設職員は、午後8時26分になって初めて救急要請したから、上記注意義務に違反したと認められる。なお、Cを担当した被告施設職員は、午後7時02分に他の職員に報告し、上司の指示を仰いだところ、その上司から様子を見るようにという指示を受けたという事実が認められるが、上述のCの様子からは事態の緊急性は明らかであって上司の指示は不適切というほかないから、同事実の存在によって注意義務違反に関する上記認定は左右されない。 (5)以上によれば、被告施設職員は、遅くとも午後6時58分に救急要請すべき注意義務を負っていたのに、同注意義務に違反した過失があったと認められる。 3 争点2(因果関係の有無)について (1)上記2(5)の被告施設職員の過失とCの死亡との間に因果関係が認められるかについて、以下、関連する事実を踏まえた上で、検討する。 ア 本件発作前のCの状態について 前提事実(2)ウからキのとおり、Cは、平成26年11月21日に第1回目発作を起こした後、カルバマゼピン単剤による薬物療法を受けていたが、平成28年6月28日の第2回発作を経て、被告施設医師によりカルバマゼピン及びイーケプラの二剤併用療法を受けていたところ、平成30年12月15日に本件発作を起こしたことが認められる。 認定事実(3)イのとおりの医学的知見に照らせば、Cは、薬剤療法を受けていたにもかかわらず発作を繰り返しており、抗てんかん薬によって発作を抑制し切れていたとはいえないが、第1回発作から第2回発作まで約1年半の間及び第2回発作から本件発作まで約2年半の間は発作がなく安定した状態にあったのであるから、抗てんかん薬が一定程度効果を発揮し、発作の発生をある程度抑制していたと考えられる。 なお、このようなCの状態は、日本神経学会の定義によれば難治てんかん当たらない一方、国際抗てんかん連盟の定義によれば当たり得るということになるが、因果関係の判断の前提としては、どの定義を取るかは重要ではなく、Cが上述のような状態であったと認定することで足りる。 イ 第2回発作時の経過について 前提事実(2)オのとおり、第2回発作時も本件発作時と同じくてんかん重積であったが、発作発生から約9分後に救急要請され、救急隊の指示の下被告施設職員による気道確保処置がとられた上、発作発生から約15分後に救急隊が到着し、約29分後に平塚市民病院に搬送された結果、搬送後一時発作が再発したものの、同病院での治療が功を奏してCは回復し、翌日に退院したことが認められる。 ウ 本件発作時のCの死亡の機序について 認定事実(3)ウのとおりの医学的知見に加え、同(2)のとおりの平塚市民病院医師の所見及び死体検案書の記載からすれば、Cは、本件発作時、てんかん重積により低酸素血症を起こして心肺停止に至り、死亡したものと認められる。 エ てんかん重積の死亡率について てんかん重積の死亡率について、被告は20~40%であると主張し、その根拠とする文献(乙B1)を提出する。しかし、同文献は、高齢者のてんかんについて論じたものであるから、てんかん重積患者全体の死亡率が20~40%であることを述べたものであるかは判然としない。認定事実(3)エのとおり、てんかん重積のうち抗けいれん薬による治療で効果の認められないものの死亡率については、様々な報告があるようであるが、高いものでも22%(高齢者で38%,成人で14%、小児で2.5%)とされており、若年になるほど死亡率が下がっていることがうかがえるから、てんかん重積患者全体の死亡率は被告が主張するほど高くないものと推察される。また、仮にてんかん重積患者全体の死亡率が被告の主張のとおり20~40%であるとしても、60~80%は救命されているということになるし、高齢者以外に限れば、その数値は更に上がる可能性もある。 (2)上記(1)の各事実を踏まえ、以下、因果関係の有無について検討する。 ア 認定事実(1)ウからオのとおり、本件発作時は、救急要請から7分後に救急隊が到着し、救急隊による用手的気道確保処置及び10Lの酸素投与が行われ、心肺停止に対して心肺蘇生措置が施された上、同要請から14分後に平塚市民病院へ搬送され、17分後に救急隊から同病院医師へ引き継がれたことが認められる。そうすると、被告施設職員が本件発作発生から10分が経過した午後6時58分に救急要請していたとすれば、時間帯の違い等を考慮に入れても、本件発作発生から20分以内に救急隊による救急処置が行われた上、30分以内に平塚市民病院において同(3)ウのとおりのジアゼパム投与を始めとする治療を受けることができていたと考えられる。 イ 上記(1)ウのとおり、Cは、本件発作時てんかん重積により低酸素血症を起こして心肺停止に至って死亡したところ、同ア及びイのとおりの本件発作前のCの状態及び第2回発作時の経過に加え、同エのとおりのてんかん重積の死亡率に関する一般的傾向や、Cが本件発作当時28歳という若年であったこと、認定事実(3)ウのとおりてんかん重積に対しては発作発生から24時間経過時までその時間経過及び種々の薬剤の効き具合に応じて段階的な治療が行われていることなどを考慮すると、本件発作が3回目であったことを踏まえても、上記アのとおり、本件発作発生から20分以内に救急隊による救急処置を受けた上、30分以内に平塚市民病院においてジアゼパム投与を始めとするてんかん重積に対する適切な治療を受けていれば、Cが死亡した時点(平成30年12月16日午前6時29分)でなお生存していたであろう可能性は高かったものと考えられる。 ウ 被告は、けいれん発作が30分以上持続した場合には後遺障害の危険性があることから、本件で因果関係を認めるためには、発生時から30分以内に本件発作が治まっていた高度の蓋然性があることを立証する必要があると主張するが、同主張は、死亡と後遺障害の可能性とを区別せずに因果関係について論じるものであるから、採用できない。 また、被告は、救急隊が気道確保等の救命処置をしたとしても、けいれん発作を抑えることができるわけではないと主張するが、上記(1)ウのとおり、Cは、低酸素血症により心肺停止に至って死亡したのであるから、救急隊による気道確保、酸素投与等の救命処置は、けいれん発作そのものを抑えることができなくとも、その死を回避するのに一定程度役立ったと考えるのが合理的である。 さらに、被告は、抗てんかん薬を投与してもけいれんが持続する場合もあるとも主張する。認定事実(3)ウの事実に照らせば、段階的治療が功を奏さない場合があることは認められるものの、上記(1)エの死亡率はそのような場合をも含めたものといえるから、そのことによって上記イの認定が左右されるものではない。 エ 以上の検討によれば、被告施設職員が遅くとも午後6時58分に救急要請すべき注意義務を果たしていれば、Cが死亡した時点で生存していたであろう高度の蓋然性があったといえるから、被告施設職員の過失とCの死亡との間に因果関係があると認められる。 4 争点3(損害)について (中略) 第4 結論 以上によれば、原告の請求は、被告に対し、3587万2491円及びこれに対する不法行為日である平成30年12月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限度で認容すべきであり、その余は理由がないからこれを棄却すべきである。 よって、主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱宣言は、相当でないからこれを付さない。 横浜地方裁判所第5民事部 裁判長裁判官 藤岡淳 裁判官 田郷岡正哲 裁判官 番條雅代 以上:6,661文字
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