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エホバの証人輸血損害賠償事件第一審東京地裁判決紹介

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令和 5年11月23日(木):初稿
○宗教団体エホバの証人は、旧統一教会ほどではありませんが、私にとってはイメージが良くありません。NHKニュース2023年11月20日19時56分「「エホバの証人」2世信者“多くが親から虐待経験” 支援弁護団」によると、「宗教団体「エホバの証人」の元信者らを支援している弁護団は20日、会見を開き、信者の親の元で育てられた多くの2世が親からの虐待を経験しているなどとする調査結果を公表しました。弁護団は宗教団体などによる虐待の法規制の検討を求めています。」とのことです。

○エホバの証人所属の患者に対し意に反する輸血をしたことで手術をした医師に対し損害賠償請求をした有名なエホバの証人輸血損害賠償事件があり、一審東京地裁から最高裁まで争われました。先ず医師が患者との間で、輸血以外に救命方法がない事態を生ずる可能性がある手術をする場合に、いかなる事態になっても輸血をしないとの特約を合意することはそれが宗教的信条に基づくものであったとしても、公序良俗に反して無効とした一審平成9年3月12日東京地裁判決(判タ964号82頁)理由等関連部分を紹介します。

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主   文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第一 請求

一 被告らは、原告に対し、連帯して、金1200万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日(被告国、被告B、被告C、被告D、被告E及び被告Fにつき平成5年7月16日、被告Aにつき同月17日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二 請求の原因
一 原告は、昭和4年1月5日生まれの主婦であり、昭和38年からエホバの証人の信者である。
(当事者間に争いがない。)

二 エホバの証人は、キリスト教の宗教団体で、聖書に、「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。」(創世紀九章3、4節)、「ただ、血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。血は魂であり、魂を肉と共に食べてはならないからである。それを食べてはならない。それを水のように地面に注ぎ出すべきである。それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行うことによって、あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである。」(申命記12章23節ないし25節)、「というのは、聖霊とわたしたちとは、次の必要な事柄のほかは、あなた方にその上何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。

すなわち、偶像を犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば、あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください。」(使徒たちの活動15章28、29節)等、「血を避けなさい。」という言葉が何度も出てくるが、これは、エホバ神が人間に対し血を避けることを指示していると考え、人間は、血を避けることによって身体的にも精神的、霊的にも健康であると確信している。従って、エホバの証人の信者は、ひとたび体の外に出た血を体内に取り入れることは医学的な方法によってもできない、即ち、輸血を受けることはできないとの信念を有している。
(甲第3、4号証及び弁論の全趣旨により、エホバの証人の信条が右のとおりであることが認められる。)

     (中略)

第五 争点に対する判断
一 争点一について

 原告は、被告国との間で、手術中にいかなる事態になっても原告に輸血をしないとの特約を合意したと主張しているが、医師が患者との間で、輸血以外に救命方法がない事態が生ずる可能性のある手術をする場合に、いかなる事態になっても輸血をしないとの特約を合意することは、医療が患者の治療を目的とし救命することを第一の目標とすること、人の生命は崇高な価値のあること、医師は患者に対し可能な限りの救命措置をとる義務があることのいずれにも反するものであり、それが宗教的信条に基づくものであったとしても、公序良俗に反して無効であると解される。
 よって、原告主張の特約は無効であるから、原告の被告国に対する債務不履行に基づく損害賠償請求は、右特約の存否について論ずるまでもなく、失当である。

二 争点二について
 原告は、被告医師らは、手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識した上で、その原告の意思に従うかのように振る舞って、原告に本件手術を受けさせ、本件輸血をした、また、被告医師らは、右の行為によって原告の自己決定権及び信教上の良心を侵害したと主張している。

 既に認定した事実から、被告医師らが手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識していたことは明らかであり、被告医師らはその原告の意思に従うかのように振る舞って原告に本件手術を受けさせたというべきであって、その結果として、本件輸血がされたことになる。したがって、原告は、被告医師らから手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば必ず輸血をすると明言されれば、本件手術を受けなかったはずであるから、被告医師らは、前記行為によって、原告が本件手術を拒否する機会を失わせ、原告が自己の信条に基づいてい本件手術を受けるか受けないかを決定することを妨げたものである。

 そこで、被告医師らが手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば必ず輸血をするとは明言しなかったことが違法であるかどうかを検討する。

 まず、手術は患者の身体を傷害するものであるから、治療を受けようとする患者は、当該手術を受けるかどうかを自分で決定することができると解される。この解釈は、患者がエホバの証人の信者であると否とに拘わらず、治療を受けようとする患者すべてに共通するものである。そして、患者が当該手術を受けるかどうかを決定するには、当該手術の内容・効果、身体に対する影響・危険及び当該手術を受けない場合の予後の予想等を考慮することが前提となるので、その反面として、患者に対し手術をしようとする医師は、当該手術の内容・効果、身体に対する影響・危険及び当該手術を受けない場合の予後の予想等を患者に対し説明する義務を負うものと解される。しかし、この説明義務に基づく説明は、医学的な観点からされるものであり、手術の際の輸血について述べるとしても、輸血の種類・方法及び危険性等の説明に限られ、いかなる事態になっても患者に輸血をしないかどうかの点は含まれないものである。

 一般的に、医師は、患者に対し可能な限りの救命措置をとる義務があり、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば、患者に輸血をする義務があると解される。ところが、患者がエホバの証人の信者である場合、医師から、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば必ず輸血をすると明言されれば、当該手術を拒否する蓋然性が高く、当該手術以外に有効な治療方法がなく、手術をしなければ死に至る可能性の高い病気では、当該手術を受けないことが患者を死に至らしめることになる。

そうとすれば、患者がエホバの証人の信者であって、医師に診察を求めた場合、医師は、絶対的に輸血を受けることができないとする患者の宗教的信条を尊重して、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば輸血をすると説明する対応をすることが考えられるが、患者の救命を最優先し、手術中に輸血以外に救命方法がない事態になれば輸血するとまでは明言しない対応をすることも考えられる。

そして、後者の対応を選んでも、医師の前記救命義務の存在からして、直ちに違法性があるとは解せられない。結局、この場合の違法性は、患者と医師の関係、患者の信条、患者及びその家族の行動、患者の病状、手術の内容、医師の治療方針、医師の患者及びその家族に対する説明等の諸般の事情を総合考慮して判断するべきものである。そこで、本件の経過で既に認定した各事実を総合すると、特に次の事項が重要である。
1 原告は、昭和38年からエホバの証人の信者として生活しており、原告にとって、輸血拒否は、エホバの証人の信仰の核心部分と密接に関連する重要な事柄である。

2 連絡委員会の訴外Yが被告Aに電話して原告の診療の内諾を得てから、原告が医科研を受診し、入院した。

3 被告医師らは、いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識し、その原告の意思に従うかのように振る舞ってはいたものの、被告Eや被告Dらは、本件手術前に何回かにわたって輸血ができないかどうかを原告に質問しており、本件手術前の説明の際には、原告からは免責証書が提出されただけで輸血に関する要求はなかった。被告Aは、本件手術前の訴外太郎及び訴外一郎に対する説明で、輸血を除く点については十分な説明をしており、原告に対しても簡単な説明をしているので、本件手術にあたっての一般的な説明としては十分であると解され、右説明とともに、被告Aは、訴外太郎及び訴外一郎に対し「術後再出血がある場合には、再び手術が必要となる。この場合医師の良心に従って治療を行う。」と伝えて、輸血をすることもあり得ることを言外に示そうとした。また被告Aは、本件手術前の説明の際に訴外太郎及び訴外一郎が特に輸血のことに言及しない態度を見て、同人らが輸血の点を避けようとしているとの印象を持った。

4 原告の症状は、本件手術前に行われた原告に対する諸検査の結果からみても、かなり重篤な肝臓部の腫瘍で悪性であることが疑われており、本件手術後の診断でもかなり重篤な腫瘍であることが確認された。

5 エホバの証人の患者に対する医科研の治療方針は(1)診療拒否は行わない、(2)エホバの証人の患者が教義の立場から輸血及び血漿製剤の使用を拒否していることは尊重し、できるだけその主張を守るべく対応する、(3)輸血以外には生命の維持が困難な事態にいたったときは、患者及びその家族の諾否に拘わらず、輸血を行うというものであるが、右治療方針は、基本的には、輸血以外には生命の維持が困難な事態に至らない限りは、エホバの証人の信仰上の意思を尊重していこうとするものであり、輸血以外には命の維持が困難な場合には救命を最優先させるというものであって、医師に治療義務があることからして、直ちに違法であるとか相当でないとかいうことはできない。

6 被告医師らは、本件手術前に原告の出血量を1500ミリリットル程度であると予想し、無輸血での手術が可能であると判断したが、本件手術までに医科研でされた無輸血手術の事例及び本件手術で採用された肝臓付近の血流の遮断を繰り返しながら行うという手術方法に照らすと、かかる出血量の予想を立てることに合理性があったものと認められる。

 以上の事実を総合考慮すると、被告医師らが手術中いかなる事態になっても輸血を受け入れないとの原告の意思を認識した上で、原告の意思に従うかのように振る舞って、原告に本件手術を受けさせたことが違法であるとは解せられないし、相当でないともいうことはできない。

 なお、本件輸血は、原告の意思に反するものである。しかし、本件手術において閉腹操作を完了した時点で術前に被告医師らが予測した以上の2245ミリリットル余りの出血があり、原告が完全なショック状態までは至っていないが、進行性の機能障害へ進む過程にあったので、原告の生命を救うために、被告医師らは本件輸血をしたものであって、右のような状況では、本件輸血は、社会的に正当な行為として違法性がないというべきである。

原告は、緊急避難の成否が問題となるのは、輸血以外に救命の方法がなく、かつ、患者の意思が不明であって、患者の承諾を得る暇がない緊急の場合に限られる旨主張し、甲第63号証及び同第64号証には、原告に対し本件輸血をしなくとも救命できる可能性があったとし、そのための方法などについて言及する部分がある。

しかし、右甲号各証で指摘される方法が原告の救命に有効であったかどうかは必ずしも明らかでないし、このような場合に原告が望む治療法を医師に要求することはできない。また、原告は、本件輸血をする前に原告及び原告の家族にその承諾を求めるゆとりが十分にあった旨主張するが、医科研では、輸血をしなければ救命できない事態になったときには患者の意思に関わらず輸血をするという治療方針でいたのであり、前述のとおり右治療方針自体を違法と解することはできないから、右主張は採用できない。
 よって、被告医師らの行為に違法性が認められないから、原告の被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求は、失当である。

第六 結論
 原告の本件請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大島崇志 裁判官 小久保孝雄 裁判官 小池健治)
以上:5,334文字

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