令和 1年10月25日(金):初稿 |
○訴訟委任の際に原告は訴訟能力を欠いていたとして,民事訴訟法69条2項,70条を適用して,訴訟代理人弁護士に訴訟費用の負担を命じた珍しい判決の平成30年7月31日さいたま地裁越谷支部判決(判タ1457号190頁)全文を紹介します。高齢で判断能力に問題がある依頼者には気をつけるべき事案です。 ○事案概要は以下の通りです。 ・原告は昭和7年生まれで訴訟委任時84歳、被告は原告の二男 ・原告は,平成23年8月,本件土地の原告の持分全部を被告に相続させる旨の公正証書遺言を作成 ・相続前に本件土地について,権利者を被告として贈与を原因とする持分移転登記 ・原告は,本件各移転登記は,被告が贈与証書等を偽造したもので無効と主張して,被告に対して移転登記抹消登記手続訴訟提起 ○これに対して,被告は,本件訴訟は,原告が訴訟代理人弁護士に本件訴訟について委任した当時,既に重度の認知症に罹患していて,そもそも原告には訴訟能力がなかったと主張して,本件訴訟について訴え却下を求め,原告の訴訟能力の有無が争点となりました。 ○判決は、訴え提起時及び訴訟委任時に原告は84歳で,訴訟委任状署名部分の筆跡の乱れ,原告についての介護認定審査会の調査結果,平成28年3月入所施設担当者調査結果,本件訴訟提起直後平成29年2月作成成年後見用診断書記載内容等から、原告は本件訴訟提起時には既に中程度から重度の認知症と認定し,本件訴訟提起後約1年5か月後実施原告本人尋問で、原告が本件訴訟内容や原告訴訟代理人弁護士ついて何ら記憶を喚起できず,本件訴訟提起したことすら理解していないとして,本件訴訟委任当時,原告には訴訟の提起・遂行を委任しうる判断能力はなかったとして,訴えを却下しました。 ○民訴法第34条で訴訟能力を欠く者のなした訴訟行為や訴訟委任は無効とされ、同法69条第2項及び70条で訴訟代理人として訴えを提起した者が,その訴訟行為をするのに必要な代理権があることを証明することができず,または追認を得ることができなかった場合において,裁判所が訴えを不適法として却下したときは,訴訟費用は,代理人として訴訟行為をした者の負担とされています。 民事訴訟法 第34条(訴訟能力等を欠く場合の措置等) 訴訟能力、法定代理権又は訴訟行為をするのに必要な授権を欠くときは、裁判所は、期間を定めて、その補正を命じなければならない。この場合において、遅滞のため損害を生ずるおそれがあるときは、裁判所は、一時訴訟行為をさせることができる。 2 訴訟能力、法定代理権又は訴訟行為をするのに必要な授権を欠く者がした訴訟行為は、これらを有するに至った当事者又は法定代理人の追認により、行為の時にさかのぼってその効力を生ずる。 第69条(法定代理人等の費用償還) 法定代理人、訴訟代理人、裁判所書記官又は執行官が故意又は重大な過失によって無益な訴訟費用を生じさせたときは、受訴裁判所は、申立てにより又は職権で、これらの者に対し、その費用額の償還を命ずることができる。 2 前項の規定は、法定代理人又は訴訟代理人として訴訟行為をした者が、その代理権又は訴訟行為をするのに必要な授権があることを証明することができず、かつ、追認を得ることができなかった場合において、その訴訟行為によって生じた訴訟費用について準用する。 第70条(無権代理人の費用負担) 前条第2項に規定する場合において、裁判所が訴えを却下したときは、訴訟費用は、代理人として訴訟行為をした者の負担とする。 ○訴訟委任必要能力は,単に日常会話や日常生活に支障がない程度の理解力・判断力を有していればよいという見解と,それだけでは足りず訴訟の内容を理解し,当事者として訴えを提起し,遂行することを判断するに足りる能力まで必要であるという見解があります。本件での原告はいずれの見解でも、訴訟能力はないとされ、民訴法第69条第2項、70条を適用して,訴訟代理人弁護士に訴訟費用の負担を命じられた珍しい判決です。 ○判断能力が怪しいと思われる高齢者の依頼には、先ず、成年後見開始、保佐開始等の要件を検討し、成年後見人・保佐人からの委任とした方が無難です。 ********************************************* 主 文 1 本件訴えを却下する。 2 訴訟費用は原告訴訟代理人Aの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 被告は,別紙物件目録記載の土地についての,さいたま地方法務局越谷支局平成24年12月25日受付第39740号及び同局平成25年1月7日受付第215号原告甲野一郎持分一部移転登記,同局平成25年6月10日受付第18413号原告甲野一郎持分全部移転登記の各抹消登記手続をせよ。 第2 事案の概要 1 本件は,別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)について,贈与を原因として,原告から被告に対して持分一部ないし全部移転登記が順次なされているところ,これらの贈与については,被告が贈与証書等を偽造して行ったもので無効であると主張して,原告が被告に対して,これらの抹消登記手続を求める事案である。 2 争いのない事実(掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実を含む。) (1)原告は,被告の実父であり,被告は原告の二男である(甲1,2)。 (2)原告は,平成23年8月19日,○○公証役場において,平成23年第177号遺言公正証書(以下「本件遺言公正証書」という。)を作成した(甲3)。 本件遺言公正証書によれば,本件土地の持分全部を被告に相続させるという内容であった。 (3)ところが,原告についての相続が発生する前に,本件土地についていずれも権利者を被告として,贈与を原因とする別紙登記目録各記載の持分一部または持分全部移転登記がなされている(以下「本件各移転登記」という。甲4)。 (4)原告は,平成28年12月30日頃,弁護士A(以下「A弁護士」という。)に本件訴訟について委任する旨記載された訴訟委任状(以下「本件委任状」という。)に署名した(弁論の全趣旨)。 本件訴訟は,平成29年1月10日に提起された(顕著な事実)。 3 争点及びこれに対する当事者の主張 本件の争点は,原告が本件訴訟を委任する際に必要な訴訟能力を有していたか否かである。 (被告の主張) 原告がA弁護士に本件訴訟を委任した平成28年12月30日の時点で,原告は重度の認知症の症状を発症している状態であり,訴訟を委任するに足る訴訟能力を欠いているのであり,本件訴訟は有効な訴訟委任を受けることなく提起された不適法な訴えであるから,直ちに却下されるべきである。 すなわち,原告は,平成27年秋頃から認知症の症状が悪化しはじめ,平成28年3月12日に現在の入居施設である「B園」(以下「B園」という。)に入居したが,入居した時点で既に幻覚を見るといった症状があり,中程度から重度の認知症の症状であった。その後,原告の症状は悪化していき,平成28年12月頃には,一般人が見ても認知症であることがわかるような重度の認知症の状態であったもので,このことはB園の作成による「行動記録」の記載からも明らかである。 また,原告は,平成29年2月14日,Cクリニックの医師から,原告は「アルツハイマー病」であり,「自己の財産を管理・処分することができない。(後見相当)」と診断されているところ,B園の担当者によれば,原告の症状は,平成29年2月のものと,平成28年12月のものは同じ状態であるとのことである。 そして,本件委任状の原告の署名部分は,まともに字を書けていないことが一目瞭然であり,住所の記載も誤っているのであり,本件委任状作成時に原告が重度の認知症であり,訴訟能力を欠いているという実態を雄弁に物語っている。 以上より,本件訴えは,A弁護士が原告から有効な訴訟委任を受けることなく提起した不適法な訴えであるから直ちに却下されるべきである。 (原告の主張) 原告は,平成27年秋頃から耳が遠くなり,日常生活にも支障を来すようになった。実際には聞こえていないにもかかわらず,想像で理解して答えるため,誤解を招くことが多くなったが,認知症は軽度であった。B園の行動記録に記載されたエピソードは,いわゆる「まだら呆け」を示すものであって,原告は重度の認知症ではない。 本件委任状に記載された原告の名前は,震えているが十分判読できるものであり,また,住所の記載は自署の要件とはされていないところ,同席していた原告の三男の訴外甲野三郎(以下「訴外三郎」という。)が代筆したものであって,何ら問題ではない。 したがって,本件訴えは,原告の意思に基づく有効な委任行為に基づいて行ったものであり,本件訴訟提起は適法になされたものである。 第3 当裁判所の判断 1 本件訴訟は,原告から訴訟委任を受けたとするA弁護士が,原告が所有していた本件土地について,贈与を原因として原告持分の一部ないし全部が順次被告に移転登記されているところ,これらは,被告が,本件遺言公正証書に記載された原告の筆跡をまねて,贈与証書や登記申請委任状の署名を行った上で,本件遺言公正証書作成時に預かっていた原告の実印を押印して贈与証書,登記委任状を偽造して本件各移転登記を行ったものであるから同登記は無効であると主張して,訴えを提起したものである。 これに対して,被告は,本案前の答弁として,原告が本件訴訟をA弁護士に委任したとされる平成28年12月30日当時,原告は重度の認知症を発症していて訴訟を委任するに足る能力がなかったから,本件訴訟はA弁護士が原告から有効な訴訟委任を受けないで提起した不適法な訴えである事が明らかなため,直ちに却下すべきであると主張して,本件訴えの適否を争っている事案である。 そこで,原告の訴訟能力の有無やそれに基づく本件訴訟委任の有効性について,以下,検討する。 2 証拠(甲1,5,7ないし10,12,乙1ないし8,12ないし15,25ないし30(枝番号があるものは枝番号も含む。),原告本人)及び本件訴訟記録上顕著な事実によれば,以下の事実が認められる。 (1)本件委任状作成時及び本件訴訟提起時,原告(昭和7年*月*日生)は84歳であった。本件委任状には定形用紙が用いられ,委任事項には「1.甲野二郎を被告として,持分一部ないし全部移転登記抹消登記の訴を提起するの件」などと記載されており,原告は,これの委任者欄に自ら署名をして押印したが,住所については,同席していた訴外三郎が代筆した。なお,原告の署名部分は筆跡がかなり乱れている。 (2)平成23年1月頃,原告名義の預金口座から金銭が引き出せないことがあり,原告は身に覚えのない借入金のために支払督促を申し立てられて,これに基づき原告名義の預金口座が差し押さえられていたということがあった。この件をきっかけに,原告は,同年4月1日付けで,本件土地などを被告に死因贈与する旨の贈与証書を作成し(乙25),さらにこれをもとに,同年8月19日,本件土地などを被告に相続させる旨の本件遺言公正証書(甲3)を作成した。 (3)平成27年8月頃に行われた○○市の介護認定審査会の調査結果によれば,原告は約4年前からグループホームに入居中のところ,アルツハイマー型認知症で,難聴で左耳のみ大声でやっと聞こえる状態であり,認知機能としては毎日の日課を理解できず,徘徊やひどい物忘れがある旨が指摘されている。原告は,同年9月30日に要介護3の認定を受けている。 原告は,その後も認知症の症状は徐々に悪化していき,平成28年3月13日に「D園」という施設から,現在入居中のB園へ移転した。B園の担当者が,原告の入所にあたって,同年1月頃にD園の職員や原告本人に調査した結果によれば,原告は,その時点において認知症としては中程度から重度の症状であったと判断できる状態であり,同年夏頃からはさらに症状が悪化していって,まともな会話ができるような状態ではなかった。 (4)CクリニックのE医師は,平成29年2月14日,原告を診断して成年後見用診断書を作成したが,これによれば,原告はアルツハイマー病であり,見当識障害が高度であり,他人との意思疎通はできず,記憶障害も顕著であって,判断能力は自己の財産を管理・処分することはできない(後見相当)程度であり,改訂長谷川式簡易知能評価スケールは5点との判断をしている(乙3)。 (5)原告がB園に入所して以来,被告が度々原告に会うために同園を訪れることはあったが,訴外三郎が同園を訪れることはほとんどなかったところ,平成28年12月6日と30日に,訴外三郎とA弁護士が原告に面会するために訪れた。B園の職員は,前記30日の面会の際に本件委任状が作成されたとしても,原告とは日常会話もまともに成り立たない状況であることから,原告が訴訟を委任するということを理解できるとは思わない旨及び原告の状態は,前記診断時の平成29年2月14日と本件委任状作成時の平成28年12月30日とではほとんど変わりがないという認識である旨を,被告訴訟代理人の聞き取り調査に対して回答している(乙8)。 なお,A弁護士は,同月4日,訴外三郎の代理人として,本件土地についての本件各移転登記の抹消を求める旨及び所有権移転登記抹消登記請求の訴えを提起する予定である旨を被告に通告してきたことから,被告代理人が本件土地について何ら権利を有しない訴外三郎がかかる請求をする法的根拠について明らかにするよう求めたところ,A弁護士は訴外三郎の提訴予告を撤回し,改めて原告から委任を受けて被告に本件訴訟を提起した旨を連絡してきた(乙4ないし6)。 (6)A弁護士の強い要請により平成30年5月15日にB園において実施された原告本人尋問において,原告はそもそも宣誓の趣旨について十分な理解ができず,自ら本件訴訟を提起していることやA弁護士に訴訟を委任していること,本件委任状に署名したことなどを認識していない旨の供述をした。そのため,原告本人尋問は,本件訴訟の本案に関する事実について何ら質問をできないまま終了せざるを得なかった。 以上によれば,原告が本件委任状に自署したことは争いがないものの,原告本人尋問の際には,原告は度重なる質問に対して,本件委任状の対象となる本件訴訟の内容や自ら委任をしたはずのA弁護士のことについて,何ら記憶を喚起することがなかったのであり,本件訴訟を自ら提起していることすら理解していないことが認められるところ,これは,原告代理人が指摘するような,単に難聴のために適切な回答ができなかったというわけではないことが明らかである。これに加えて,前記認定のようなE医師の診断書やB園の職員の認識状況,その他本件に顕れた一切の事情に鑑みれば,本件訴訟委任状が作成された当時,原告に本件訴訟について理解したうえでその訴えを提起することを判断する能力があったと認めることは困難である。 3 これに対し,原告は,平成29年12月25日に妻が亡くなって多大なショックを受けたことから急速に認知症が進行したもので,そのような状況で実施された本人尋問の結果を重視すべきではなく,原告の供述内容は甲5,甲7の記載によるべきであるなどと反論する。しかし,甲5,甲7の記載内容を検討しても,原告が明確に本件訴訟の内容を理解してA弁護士に本件訴訟を委任をしたことを認めるには足りないといわざるを得ず,他に,本件委任状作成当時,原告が本件訴訟の提起・遂行をA弁護士に委任し得る能力があったことを認めるに足る証拠はない。 4 結論 以上によれば,本件訴えは,A弁護士が原告本人から有効な訴訟委任を受けることなく提起した不適法な訴えであるといわざるを得ないから,これを却下することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法69条1項及び2項,同70条を適用して主文のとおり判決する。(裁判官 中久保朱美) 別紙 物件目録〈省略〉 登記目録〈省略〉 以上:6,559文字
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