平成17年10月15日(土):初稿 |
○平成17年8月23日更新情報で、在米30有余年、実業界を経て日・米の大学で教鞭を執った国際法学者鈴木康彦氏の「出羽守の独り言」と言うHPでの「訴訟社会アメリカ(1)」によるとアメリカは訴訟社会であると言われる背景は、第1にアメリカ人は権利意識が強く、自己の権益を守るため対決を厭わない民族性があること、第2にモザイク社会と言われる多民族国家アメリカでは、夫々の民族の慣習・道徳律を超えた法秩序の強い支配が必要であることを挙げていますと報告しました。 ○鈴木氏は、その記事でワシントンDCの郊外(ヴァージニア州側)に住んでいた頃、隣家に引っ越して来たばかりのアメリカ海兵隊の退役将軍夫婦に提訴されたが、不思議なことに、争っている最中でも、近くのスーパーなどで会うと、むこうから笑顔で話しかけ世間話を始めると言った具合で、日本だったら不倶戴天の敵なのにどうして普通に話が出来るのか、在米30有余年の私達も彼等の感覚だけは未だに理解できませんと記載しています。 ○日本で隣同志の争いというと、境界争いが典型です。紛争中の当事者は隣同士で何十年もいがみ合っているのが普通で、私が代理人として土地家屋調査士と境界の測量に行っては、不倶戴天の敵の回し者として、これ又目の敵にされ時に水をかけられたなんてこともあります。 ○弁護士は当事者の代理人に過ぎないのですが、紛争の渦中にあると代理人すら憎しみの対象とされることも良くあります。しかし多くの常識ある人は、弁護士は代理人に過ぎずビジネスとしての行動であることを理解し、敵方でも弁護士には礼儀をもって接してくれます。 ○上記鈴木氏の記事によると、訴訟社会アメリカでは、この敵方でも弁護士には礼儀をもって接する態度を、当事者同士でも取れるようです。これは争いは法廷等紛争解決手続の中で行うものであり、日常生活には争いは持ち込まないと言う精神が徹底しているからと思われます。 ○争いが発生し、日常生活の中での争いが解決しないから、法廷等紛争解決手続に委ねるものです。従って一旦、紛争解決手続に委ねたら、後は全てそちらに任せ、その後争いは日常生活の中にまで持ち込まないとする態度は実に合理的であり、この精神は素晴らしいと思います。と言うのは日常生活に争いを持ち込んでも何の解決にもならず却って争い解決を困難にするだけだからです。 ○しかし普通の日本人は鈴木氏が指摘されるように気持をビシッと切り替えることは出来ないはずです。それが出来るアメリカ人は、こと紛争解決の場については日本人より精神的には成熟していると言えるでしょう。 勿論、アメリカ人にも日本人にもいろいろなタイプの人が居て全部が全部そうとは限りませんが。 以上:1,111文字
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