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自然の愛情故の責任無し昭和50年12月22日東京高裁判決紹介

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平成24年 2月22日(水):初稿
○妻Bが夫Fと男女関係になり一子設けた女性Aに対し慰謝料請求を請求をしましたが、F・A間の自然の愛情を認定してAの責任を否定した昭和50年12月22日東京高裁判決(判時810号38頁)を紹介します。この判決は昭和54年3月30日最高裁判決で覆されて、不貞行為第三者責任論争が発生しました。

事案概要は以下の通りです。
B女がFと昭和22年7月7日事実上の結婚、翌23年7月20日婚姻届。同年8月15日C、昭和33年9月13日D、昭和39年4月2日Eがそれぞれ出生。
A女が昭和32年ごろFに妻子のあることを知りながら同人と情交関係を結び、その関係を継続し、現在同人と同居。
昭和35年11月21日、AはFの子Gを出生、自分の資力で養育し、昭和39年4月30FがGを認知。
昭和39年2月、Bが、A・Gの存在を知り、Fをきびしく責めたて、同年6月別居、昭和42年からA・F同棲

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主文
 原判決中控訴人敗訴部分はこれを取消す。
 被控訴人らの請求を棄却する。
 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人らの負担とする。 

事実
 控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人らは控訴棄却の判決を求めた。
 当事者双方の主張及び証拠関係は、控訴人において当審における控訴本人尋問の結果を援用し、被控訴人らにおいて当審における被控訴本人B本人尋問の結果を援用した外は、原判決事実摘示と同一であるから、これを援用する(但し、原判決六枚目表二行目の「妄」とあるを「妾」と訂正する)。 
 
理由
一 被控訴人Bが訴外Fと昭和22年7月7日事実上の結婚をなし、翌23年7月20日婚姻届を了したこと、同年8月15日被控訴人Cが、昭和33年9月13日被控訴人Dが、昭和39年4月2日被控訴人Eがそれぞれ出生したこと、控訴人が昭和32年ごろ訴外Fに妻子のあることを知りながら同人と情交関係を結び、今日までその関係を継続し、現在同人と同居していることは、当事者間に争いがない。

二〈証拠〉並びに当事者間に争いのない事実によれば、次のとおりの事実が認められ、右各供述中この認定に反する部分は措信できない。

(一)被控訴人Bは大正14年12月22日大阪で出生し昭和17年聖母女学校高等女学校を卒業した。訴外Fは大正11年1月27日大阪で出生し、同志社大学を卒業し、明治製薬に勤務していた。訴外人には異母兄弟が19人ぐらいおり、家庭関係は複雑を極めていた。訴外人は被控訴人と恋愛によつて結ばれ、結婚後も大阪で新居を構えていた。昭和23年8月被控訴人Cが出生した。昭和26年ごろ、右会社が倒産し、1、2年間化学薬品の代理店を自営していたが、昭和28年頃上京し目黒区自由丘に住み自動車販売業を営むようになつた。訴外人は精力的に仕事をする反面、女性関係にはだらしない面があつて、被控訴人Bと性格が違つており、家庭生活が面白くないとして、結婚後5年ぐらいしてから浮気をするようになり、このため被控訴人Bとの間にいさかいが生じ、特に、昭和29年11月ころ訴外人が某女と情交関係をもつていたことが被控訴人Bに知られたときは、離婚話も出た程であつたが、訴外人があやまつて収まつた。しかし、その後も訴外人の女性関係は改まるところはなかつた。訴外人は帰宅が遅かつたり、ときどき外泊することがあり、被控訴人Bは心よく思わなかつた。

 訴外人は、右のようなこともあつたけれども、おおむね帰宅して妻子との平穏な共同生活を営み、子煩悩なため被控訴人Cを可愛がり、その後被控訴人D、同Eも出生し、昭和39年に家を出るまで通常の家庭生活を営んできた。

(二)控訴人は昭和4年1月1日に出生したが、小千谷市の丁村金蔵夫婦の養女となつて同市に住み、旧制高等女学校を卒業し、家事手伝いと養父の長男が開設していた囲碁教授の手伝いをしていた。この生活にあきたらずに昭和29年ごろ上京し銀座のアルバイトサロンに勤め、同店で上位三位を下らないホステスとしての座を保つていた。

 控訴人は昭和32年ごろよく同店に遊びにきていた訴外人に指名されたのを機会に親しくなり、閉店後訴外人にさそわれ一諸に帰るなどして親交を深め数月後には訴外人の愛情にひかれて情交関係をもつに至つた。控訴人は訴外人に妻子があることを知つていた。当初二人とも浮気のつもりでいたが、次第に交際が深まり互に強い愛情を抱くようになつた。

 控訴人は社交性もあり、しつかりした気性の持主であつて、情交関係が生じてからも訴外人から金員を貢がせるようなことはなく、自活し対等の立場で交際していた。控訴人は訴外人との関係で訴外Gを懐胎し、子供を産みたいと思い、経済的にも自力で養育できると確信し出産することにした。これについて訴外人は特に反対もせず、被控訴人Cが高校入学手続を済ませた時点でGを認知することを約していた。そして昭和35年11月21日訴外Gが出生した。Gは控訴人が自分の資力で養育していた。被控訴人Cが高校に合格した後の昭和39年4月30日訴外人がGを認知した。

(三)訴外人は前記のとおり控訴人と情交関係を持ちGを設けたけれどもこれを被控訴人Bに隠し、普通の家庭生活を続けていた。ところが、昭和39年2月に至り訴外人と控訴人との関係および両人の間にGが生まれていることが被控訴人Bの知るところとなつた。同被控訴人はこれまで訴外人の行状に我慢してきたが、控訴人との長い関係と一子まで設けたことに激昂し、訴外人をきびしく責めたてて非難した。

 既に控訴人に強くひかれ同被控訴人に対する愛情を失いかけていた訴外人はこの非難に会い同被控訴人に対し嫌悪の情を抱くに至り一時身を引くと称して同年6月家を出て目黒区内のアパートに移り同被控訴人らと別居し、その後1、2月して控訴人を説得して同人の居宅に移り同棲したが、被控訴人らとの接触がわづらわしかつたためまもなく鳥取県に移つて勤務し、昭和42年東京に帰り、爾来控訴人の居宅で同棲している。

 控訴人は昭和39年銀座にバーを開業し、昭和41年ごろ右店舗を売却して新たに銀座八丁目にバーを開店し、従業員を使用し、昭和47年には赤坂に支店を設けて営業したこともある。

 控訴人は訴外人と同棲していても訴外人から金員の贈与ないし貸与を受けたことはなく、生活費も訴外人から受取つていない。また、訴外人が妻子のもとに戻りたいのであればあえて反対はしないとの態度である。しかし、訴外人は控訴人に傾倒しており、被控訴人Bらのところに帰る意志は全くない。また、被控訴人Bも訴外人が戻るとは思つていない。訴外人は自分の職業を持ち、別居してから毎月数万円を被控訴人らに送金していたが、その金額は被控訴人らの希望するところよりはるかに少額に止まつていた。しかしこの金額も訴外人の収入からすれば相当の多額であつた。また、訴外人は昭和31年に世田谷区深沢町に家屋を新築し被控訴人B名義にしていた。訴外人が鳥取県にいつていた間にこれを処分し、代金の一部を訴外人の借財の返済にあて、一部をもつて被控訴人Bの肩書住所地に家屋を取得し同被控訴人名義とし、同人らが居住している。

三 前記認定の事実によれば、訴外Fと控訴人とは、訴外人のさそいかけから自然の愛情によつて情交関係が生じたものであり、控訴人が子供を生んだのは母親として当然のことであつて、訴外人に妻子があるとの一事でこれらのことが違法であるとみることは相当ではなく、また、訴外人と被控訴人Bとの婚姻生活は、右被控訴人が訴外Fと控訴人との関係を知り、訴外Fが別居した昭和39年6月に破綻するに至つたものと認めるのが相当である。そして、この別居は訴外人が被控訴人Bに責められ愛情を全く喪失したため敢行されたものであつて、控訴人が訴外人に同棲を求めたものではなく、控訴人に直接の責任があるということはできない。そして訴外人と控訴人が同棲生活に入つたのは、前記認定のとおり、訴外人と被控訴人Bとの婚姻生活が既に破綻した後であつて、しかも訴外人の方から控訴人のもとに赴いたものであつて、これをもつて控訴人に違法があるとすることはできない。

 また、訴外人が控訴人と同棲して以来子供である被控訴人Cらは訴外人の愛ぶ養育を受けられなくなつたわけであるが、これは一に訴外人の不徳に帰することであつて、控訴人に直接責任があるとすることはできない。

三 以上のとおりであつてみれば、控訴人に不法行為があるとするのは相当ではなく、被控訴人らの本訴請求はすべて理由がないと認められるからこれを棄却すべく、原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条、第96条を適用し、主文のとおり判決する。
(渡辺一雄 田畑常彦 大前和俊)
以上:3,602文字

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