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チネ・ラヴィータで映画”パコ・デ・ルシア灼熱のギタリスト”を鑑賞

平成28年 9月 4日:初稿
○平成28年9月3日は、BiVi仙台駅東口2階にある「チネ・ラヴィータ」という小さな映画館で映画「パコ・デ・ルシア灼熱のギタリスト」を鑑賞してきました。チネ・ラヴィータは、フォーラム仙台と姉妹映画館で、フォーラム仙台同様座席数は、64席2つ、83席1つの3つのシアターだけの小さな映画館です。フォーラム仙台は、一度だけ行ったことがありますが、チネ・ラヴィータは初めてでした。

○映画「パコ・デ・ルシア灼熱のギタリスト」は、東京では平成28年7月23日から「Bunkamura ル・シネマ」で上映されていましたが、宮城県は、仙台市チネ・ラヴィータでの平成28年9月3日午後7時45分からが初上映でした。開演1時間前にチネ・ラヴィータに行ってチケットを障害者割引料金1000円で購入し、開演5分前に64席のシアター2に入って鑑賞しました。仙台初演で何人鑑賞者が居るか興味あるところでしたが、20名弱程度でした。熱狂的パコ・デ・ルシアファンは、既に東京で鑑賞済みなのかもしれません。

映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』予告編


『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』スペシャル映像


○感想は、長年パコ・デ・ルシアと組んでその伴奏等を担当してきたカニサレス氏のメッセージが一番、同感でした。
この映画の最大の魅力は、全編を通じて等身大のパコらしさに溢れているということ。
監督が実の息子であるがゆえに成し遂げられた偉業。
この映画の中の飾らないパコこそ、私たちの知る本当の彼の姿です!
- カニサレス フラメンコ・ギタリスト作曲家
○以下、パコ・デ・ルシアファミリー紹介です。
立派な息子さんを残されて、うらやましい限りです。

監督・脚本・エグゼクティブプロデューサー;クーロ・サンチェス(Curro Sánchez)
パコ・デ・ルシアの長男。スペイン、マドリッド生まれ。マドリードにあるCEUサンパブロ大学で、コミュニケーション及び映像音響を学ぶ。大学卒業後に、ドキュメンタリー映画「Bienvenidos Mr. Hollywood」を監督。高い評価を受ける。2009年、ニューヨークに渡り、ニューヨークフィルムアカデミー(NYFA)で学び、短編映画などを監督する。その後、スペインに戻り、Ziggurat Filmsを設立。パコの2011年の演奏ツアーのドキュメンタリー「Inmortalidad de un Concierto」(不滅の演奏)を製作する。その後、2014年に「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」を完成させ、ゴヤ賞、ベスト・ドキュメンタリー賞などを受賞し高い評価を受ける。現在は、画家ゴッホについてと、マリファナの合法化についてのドキュメンタリーを製作中。

パコ・デ・ルシア(本名Francisco Gustavo Sánchez Gómez)
1947年12月21日、スペインのアンダルシア地方の町アルヘシラスで生まれる。幼いころから父と兄ラモンからギターを教わる。13歳の時、兄とともにホセ・グレコ舞踏団に加わり、北米・中南米を巡演。そこで数多くのギタリストと出会う。1967年、19歳で初のソロアルバム「天才」をレコーディング。72年3月初来日。翌年録音された「二筋の川」の大ヒットで国際的な名声を得る。1977年、フラメンコ分野で活躍していたパコに転機が訪れる。チック・コリア、カルロス・サンタナ、ジョン・マクラフリンとの3人でアコースティック・ギターのみで敢行したツアー、続く81年に発表したアルバムによって、スーパー・ギター・トリオの愛称で親しまれ、その知名度を確固たるものとした。2014年2月26日、滞在先のメキシコで心臓発作により急死。
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