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大震災1年50数日後大雨警報下の気仙沼滞在中

平成24年 5月 4日:初稿
○平成24年5月3日、東北地方太平洋側に大雨警報が出される中、3月24日購入したばかりのフォルクスワーゲン社ミニバンシャランを運転して、東日本大震災後1年50数日後の気仙沼に向かいました。被災地石巻を通る三陸自動車道は混むだろうと予想して東北自動車道に午前11時頃、乗り込みました。ところが、こちらも予想外に自動車が多く、大衡村付近まで渋滞が続き、スムーズに走行できるようになったのは三本木パーキングを過ぎた辺りでした。しかし、その後も所々で渋滞が発生し、やはりゴールデンウイークは混むと実感しました。

○途中、昼食休憩を取り、気仙沼に到着したのは午後3時半を過ぎていました。気仙沼到着時点では、雨と風が強まり、まるで台風下のようでした。大震災1年50数日後の気仙沼の様子をカメラに納めようとしましたが、雨・風で到底無理な状況でした。「宮城県では3日夜、河川が増水して氾濫の恐れがあるとして、内陸部の大和町が約500世帯2000人に避難指示を出し、住民約280人が避難した。気仙沼市も約2200世帯5200人に避難勧告を出した。 」なんてニュースもあり、気仙沼は大変な状況です。

○5月3日(木)気仙沼に一泊する必要があり、1週間前の4月26日に気仙沼ホテル観洋南三陸ホテル観洋、気仙沼プラザホテル3軒に電話連絡するも、いずれも満杯とのことで予約を断られました。そこでやむなく平成17年8月に気仙沼中学校42年卒20回生歳祝で利用したホテル望洋に電話するとまだ空きがあるとのことで予約しておりました。このとき、恐縮ながら、その部屋の余りの老朽化ぶりに出来れば避けたいと思っていたホテルでしたが、その後老朽化は余り進んでおらず、朝食もまあまあの味でした。ハードが老朽化している分、スタッフの方々のサービスで補おうとの心意気は感じることが出来ました。

○私が気仙沼に帰った際の定宿は気仙沼ホテル観洋でした。従前の支配人さんが旧知の方で、部屋が混んでいるときもご配慮頂くことが良くあったからです。しかし、この支配人さんも定年退職され,直接、知る方がいなくなり、久しぶりの気仙沼ホテル観洋宿泊はかないませんでした。それでも、夕食は、実家の姉夫婦と我が家族で気仙沼ホテル観洋和食処「鮹」を予約して一緒に取りましたが、流石に気仙沼ホテル観洋ホテル望洋のハードの差は歴然としていました。

○午後8時半過ぎにホテル観洋からホテル望洋にタクシーで戻りましたが、台風並みの雨風に驚きました。大震災で地盤沈下したと思われる道路のくぼみに大きな水たまりが出来てタクシーは大きな水しぶきを上げながらの走行でした。翌朝、スマホをつけると大雨警報の緊急連絡が入っているのにも驚きました。

ホテル望洋をチェックアウトしてホテル前の一方通行の道路から気仙沼湾を望むとYouTubuで良く見た場所でした。大震災後の津波の際は,この場所でも津波来襲の恐怖を感じたであろうと実感しました。ホテル望洋前の一方通行路から鹿折地区に出ると、平成23年4月3日に見た正に戦後の焼け野原の状況が一変して、相当片付いているのが判りました。JR鹿折駅も綺麗に撤去されていましたが、打ち上げられた大きな漁船はそのままでした。

○驚いたのは鹿折地区中心を走る45号線の両脇が水で溢れ、45線道路があたかも湖の中を走る橋のようになっていたことです。この地区の45号線は相当嵩上げされてアスファルトが積み上げられ両脇の従前の土地が低くなり、北側高台から流れる水が45号線で堰き止められ水が溜まっているとのことです。これらの水は北側高台の居宅の生活排水、下水等も混じった汚れたものだとの説明を、たまたま、出会ったホテル望洋下に居宅を有している同級生から受けました。この方の居宅・工場1階部分が津波で浸水して相当な被害を受け、ようやく居宅部分を住めるように修繕したものが、今回の大雨で再度床上浸水したとぼやいていました。嵩上げされた45号線で堰き止められた水が上がったとのことで多いに憤慨していました。

○今回の気仙沼地区の水害報道では床上浸水は内が如くでしたが、実際は、床上浸水まであるようで、これも大震災が残した爪痕の一つで、気仙沼の完全復興はなかなか道遠しと実感しました。

滞在ホテルからの眺めと湖水化した鹿折地区
   



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