転送義務に関する平成13年10月16日東京高裁判決紹介1


○当事務所で取り扱っている医療過誤事件の参考判例として平成13年10月16日東京高裁判決(判時1792号74頁)を掲載します。桐HPB1レコード制限文字数の関係で、先ず裁判所判断前半部分までです。

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主  文

1 一審被告の本件控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
(1) 一審被告は、一審原告Bに対し、225万円及びこれに対する平成3年12月5日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
(2) 一審被告は、一審原告C及び同Dに対し、それぞれ112万5000円及びこれに対する平成3年12月5日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
(3) 一審原告らのその余の請求を棄却する。
2 一審原告らの本件各控訴をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審を通じ、これを10分し、その1を一審被告の負担とし、その余を一審原告らの負担とする。
4 この判決は、1の(1) 、(2) に限り、仮に執行することができる。

   事実及び理由

第1 控訴の趣旨
(一審被告)
1 原判決中、一審被告敗訴部分を取り消す。
2 上記部分に係る一審原告らの請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審を通じ、一審原告らの負担とする。

(一審原告ら)
【第1次的請求】

1 原判決を次のとおり変更する。
(1)  一審被告は、一審原告Bに対し、5134万4722円及びこれに対する昭和62年6月24日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
(2)  一審被告は、一審原告C及び同Dに対し、それぞれ3067万2361円及びこれに対する昭和62年6月24日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、第1、2審を通じ、一審被告の負担とする。
3 仮執行宣言

【第2次的請求】
1 原判決を次のとおり変更する。
(1)  一審被告は、一審原告Bに対し、5134万4722円及びこれに対する平成3年12月5日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
(2)  一審被告は、一審原告C及び同Dに対し、それぞれ3067万2361円及びこれに対する平成3年12月5日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、第1、2審を通じ、一審被告の負担とする。
3 仮執行宣言

第2 事案の概要
 次のとおり付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。
1 一審原告らの当審における因果関係についての主張
 一審被告は、平成3年11月27日、Eの病態(脳ヘルニアの切迫)について緊急性の判断を誤り、直ちにEを外科的治療法が可能である他の専門医療機関に転送しなければならないのにこれを怠った。当時、Yメディカルセンター病院にはベッドの空きがあり、Eが同病院に転送されれば、速やかに腫瘍摘出手術が行われ、仮に頭蓋内圧亢進によって摘出手術までに脳ヘルニアに至る危険性があると判断されれば、脳室ドレナージを行い、頭蓋内圧の減圧を図ってから摘出手術が行われた。これらの施術によりEは高度の確率で救命されたはずである。したがって、一審被告の注意義務違反とEの死亡との間には相当因果関係が肯定されるべきである。

2 一審被告の当審における因果関係についての主張
 一審被告にEの病態(脳ヘルニアの切迫)についての緊急性の判断に誤りがあったとしても、Eの腫瘍は脳幹部に近接した位置に生じた悪性巨大腫瘍であったため、これを摘除して完治せしめ得る可能性は極めて乏しく、救命の可能性はほとんどなかった。したがって、一審被告の注意義務違反とEの死亡との間には相当因果関係がない。

第3 当裁判所の判断
1 昭和62年6月24日の診療における過失について

 上記時点での一審被告の判断及び診療行為につき過失があったことを認めるに足りる証拠はない。

2 平成3年11月27日以降の診療における過失について
(1) Eの脳腫瘍の発生部位及び形状

 昭和62年6月24日撮影のCT画像(乙3の〈1〉、〈2〉)、平成3年11月27日撮影のCT画像(乙4の〈1〉、〈2〉)、同月28日撮影のMRI画像(乙6の〈1〉〜〈5〉)、同月29日撮影のCT画像(乙5の〈1〉、〈2〉)、F作成の鑑定意見書(乙23の〈1〉、〈2〉。以下「F意見書」という。)、Gの鑑定意見書(甲31、32。以下「G意見書」という。)、鑑定人Iの鑑定結果(以下「I鑑定」という。)によれば、昭和62年6月24日当時、Eの第4脳室はほぼ正中にあり、腫瘍などにより圧排され変形されることはなく、ほぼ正常の形態を保っていたが、4年4月後の平成3年11月27日には、Eの後頭蓋窩の後錐体縁から天幕にかけて最大径が約4cmの大きな腫瘍が存在し、腫瘍周辺部の脳組織に浮腫をきたし、第4脳室は圧迫されて左に偏位し、第3脳室及び側脳室は脳室拡大していたこと、Eの腫瘍を悪性とみるか良性とみるかはともかくとして、Eの腫瘍は4年4月の間に急速に増大していたこと等が認められる。

(2)大後頭孔ヘルニア(小脳扁桃ヘルニア)の発生
 Eは、平成3年11月27日午後5時ころ、頭痛、吐気を訴えて一審被告診療所を訪れた。一審被告は、直ちに頭部CTを撮影し、その結果から、後頭蓋窩に大きな腫瘍が存在すること、第3脳室と測脳室が拡大していること、第4脳室が小さくなって左に偏位していることを確認し、腫瘍摘出手術を行うことができる他の医療機関への転送が必要であると判断し、附属病院に転入院を依頼し、定時入院として1週間後に転院させること、それまで一審被告診療所において脱水剤(脳圧下降剤)であるグリセオールを投与しながら待機させることを決定した。

 Eは、附属病院への転院待機中、一審被告診療所において27日午後6時30分ころから30日午前4時30分ころまでの間に合計約4000ミリリットルのグリセオールの投与を受けていたが、30日午前8時ころ心停止・呼吸停止の状態となった。これは、グリセオールの投与によっても脳内圧の亢進を防ぐことができず、脳内圧の亢進により大後頭孔に小脳扁桃が嵌入し(大後頭孔ヘルニア)、延髄が圧迫されて呼吸機能・心臓機能が破壊されたために生じたものである。

(3)大後頭孔ヘルニア(以下「脳ヘルニア」という。)が起きる危険性についての一審被告の判断
 一審被告は、平成3年11月27日に附属病院にEの転入院を依頼した際、緊急入院の要否を聞かれて、必要ない旨回答し、翌28日に附属病院のH医師(講師)から再度緊急入院の要否を確認されて、「緊急入院の必要な状況ではなく、定時入院の範囲でできるだけ早く」と回答している。このことからすると、一審被告は、Eの病態につき、腫瘍摘出手術を行うことができる病院に転送しなければならない状態であるとは判断したものの、グリセオールの投与により1週間程転院を待っていてもその間に脳ヘルニアを起こすことはないだろうとの判断のもとに、緊急転院の必要性を認めず、1週間程後の転院でよいと判断していたことが認められる。

 しかし、Eの腫瘍は4年4月の間に急速に増大して最大径が約4cmに達していたのであり、F意見書、G意見書、証人J及び同Fの証言(以下「J証言、F証言」という。)によれば、このような腫瘍が前記(1) の部位に脳浮腫をともなって存在する場合には、
〈1〉腫瘍周辺の浮腫を含めた腫瘍による脳ヘルニアの発生、
〈2〉急性水頭症による脳ヘルニアの発生、
〈3〉腫瘍からの出血による脳ヘルニアの発生等
により患者の病態が急変する可能性、すなわち、グリセオールを投与しても脳内圧をコントロールできずに脳内圧の亢進により脳ヘルニアが起きる危険性が高く、脳ヘルニアがいつ起こってもおかしくはないのであって、したがって、グリセオールを投与していれば1週間転院を待っている間に脳ヘルニアを起こすことはないと判断すべき根拠はないことが認められる。

 以上によれば、一審被告は、Eが脳ヘルニアを起こす危険性について、グリセオールの投与をしていても数日中に脳ヘルニアが起きてしまう危険性があると判断すべきであったのに、この危険性がないものと判断し、Eを転院させるべき緊急性についての判断を誤ったものであり、一審被告にはこの点について過失があるというべきである。
以上:3,439文字
○「転送義務に関する平成13年10月16日東京高裁判決紹介1」を続けます。

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3 救命の可能性について
(1)転院の可能性について

 一審被告は、転院先として附属病院を選択したのであるが、証拠(乙24、25の〈1〉、〈2〉)によれば、附属病院においては、平成3年11月27日、28日、29日、30日当時、緊急入院を受け入れることも緊急手術を行うこともできなかったことが認められる。しかし、証拠(乙21の〈1〉〜〈4〉)によれば、Yメディカルセンター病院(以下「メディカルセンター」という。)においては、当時、緊急入院を受け入れ緊急手術を行うことが可能であったことが認められ、実際にも、11月30日にEが脳ヘルニアを起こして心停止・呼吸停止となった後、直ちにメディカルセンターへの転送がされていることからすると、平成3年11月27日当時、一審被告において、転院が緊急を要すると判断していれば、附属病院以外の腫瘍摘出手術のできる病院への転送は可能であったということができる。

(2)転院先における緊急手術実施の可能性について
 J証言によれば、メディカルセンターにおいては、受け入れ後1、2日のうちに手術前の諸検査を経て腫瘍摘出手術を実施することが可能であったことが認められる。

(3)腫瘍摘出手術について
ア 腫瘍摘出手術の困難性について

 G意見書、J証言、F証言及びI鑑定によれば、Eの病態についての最終的な最善の治療法は腫瘍全摘出手術であるが、Eの脳腫瘍は脳幹に近い部位に存在する巨大な腫瘍で、腫瘍内部及び表面には脳幹部に繋がっていると考えられる豊富な血管があるため、その摘出手術に際しては、脳神経、脳幹部や主要な血管を損傷しないように細心の注意を払う必要があり、長時間を要し、しかも、腫瘍摘出のみならず右小脳半球の約3分の1以上の切除(内減圧)を併せて行わないと手術の目的を達成できないため、仮に脳内圧のコントロールにより脳ヘルニアの急変が起こらないうちに腫瘍全摘出手術を実施し得たとしても、これによりEを救命し得る可能性は低いこと、他方、脳内圧のコントロールにより脳ヘルニアの急変が起こらないうちに腫瘍摘出手術を実施することができれば、一部摘出にとどめた場合を含め、いわゆる延命を図れる相当程度の可能性はあったことが認められる。

 なお、上記証拠及び証人Kの証言によれば、本件では組織学的検査は行われなかったため、Eの腫瘍がいわゆる悪性か良性かの正確な判定はできないが、実際にEの診察又は手術を担当した一審被告、当直のK医師、J医師ら及びG意見書は、良性の腫瘍であった可能性が高いと判断している(一審被告は、本件訴訟においては悪性腫瘍であると主張しているが、診察時においては、良性であるとの判断をしていたことは明らかである。)のに対し、F意見書及びI鑑定は悪性の腫瘍であった可能性が高いと判断していること、仮に良性の腫瘍であった場合には、脳内圧のコントロールにより脳ヘルニアの急変が起こらないようにしたうえ、摘出手術を実施し、腫瘍を全部摘出することができれば、原則として再発を防ぐことができるのに対し、悪性の場合には、再発を防ぐことは困難であるため、同様に摘出手術を実施するものの一部摘出にとどめ、腫瘍の量を減らすことによって、他の症状を防ぎ、放射線治療を併用するなどして、いわゆる延命を図るという余地もあったことが認められる。

イ 脳内圧のコントロールにより脳ヘルニアの急変を防ぎながら腫瘍摘出手術を実施し得た可能性について
 Eは、グリセオールの投与にもかかわらず、脳内圧の亢進により3日のうちに脳ヘルニアを起こしている。したがって、他の方法により脳内圧をコントロールし、脳ヘルニアの急変が起こらないようにして、腫瘍摘出手術を実施し得たか否かが問題となる。
 F意見書、G意見書、J証言、F証言及びI鑑定書によれば、Eが平成3年11月27日の時点で緊急検査及びこれに引き続く緊急腫瘍摘出手術を行うことができる病院に転入院していれば、同病院において、腫瘍摘出のための開頭手術前に脳室ドレーンを脳室内に挿入し、上向性脳ヘルニアが起きないように、排出する髄液を微妙にコントロールしながら脳内圧を下げ(脳室ドレナージ)、緊急腫瘍摘出手術を実施できた可能性があること、しかし、この脳室ドレナージを行う場合には、脳室ドレナージ自体によって上向性脳ヘルニアが起こる危険性が高いため、細心の注意が必要であることが認められる。
 上記認定事実によれば、脳内圧のコントロールにより脳ヘルニアの急変を防ぎながら腫瘍摘出手術を実施し得た可能性を否定できないものの、その可能性は高いとはいえない。

(4)一審被告の過失とEの死亡との間の相当因果関係の有無
 前記(3) の腫瘍摘出手術の困難性及び脳内圧のコントロールにより脳ヘルニアの急変を防ぎながら腫瘍摘出手術を実施し得た可能性が高くないことからすると、脳ヘルニアを起こす危険性についての判断に関する一審被告の前記2の過失がなく、Eが平成3年11月27日の時点で直ちに腫瘍摘出手術を行うことができる病院に転送されたとしても、同病院において、脳室ドレナージによって脳内圧を適切にコントロールして脳ヘルニアの急変を防ぎながら腫瘍摘出手術を実施してこれを成功させ、Eを救命し得た高度の蓋然性は認めることはできないというべきである。したがって、一審被告の前記2の過失とEの死亡との間に相当因果関係の存在を認めることはできない。

(5)延命の可能性について
 しかしながら、前記(1) 、(2) 、(3) の検討結果によれば、一審被告の前記2の過失がなく、Eが平成3年11月27日の時点で直ちに腫瘍摘出手術を行うことができる病院に転送されていれば、同病院において、脳室ドレナージによって脳内圧を適切にコントロールして脳ヘルニアの急変を防ぎながら腫瘍の一部摘出手術を実施し、Eの延命を図り得た相当程度の可能性はあったというべきである。
以上:2,504文字
○「転送義務に関する平成13年10月16日東京高裁判決紹介2」を続けます。





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4 一審被告の責任について
 争いのない事実並びに前記各証拠及び一審原告Bの供述によれば、一審被告は、平成3年11月27日、一審原告Bに対して、EのCT画像を示しながら、同女の腫瘍は良性の腫瘍であって手術すれば治り、社会復帰もできる、附属病院に転送して手術をしてもらうために1週間待機する必要があると説明したこと、Eの頭痛症状は、一審被告の指示したグリセオールの投与によっても収まらず、自制できないほどであったが、一審被告は、
同月29日(金曜日)午後6時ころ、同様のグリセオール投与の申し送りをして、当直のK医師にEの診察を引き継いだこと、
Eは、翌30日(土曜日)午前8時ころ、心停止、呼吸停止の状態となったが、それまでの間、たびたびナースコールをして頭痛を訴えたこと、
K医師は、Eのこの訴えについて、直接診察することなく、ボルタレン座薬及びグリセオールの投与を看護婦に指示しただけであったこと、
この間、Eの身体状況のうち、呼吸、血圧、脈拍などのバイタルサインについて頻繁にチェックすることは行われず、また、意識レベルをチェックしてジャパンコーマスケールで表示する方法などによって頭蓋内圧亢進の状況を把握することも行われていなかったこと、
このため、Eが同月30日午前9時20分に転送先のメディカルセンターに到着し、午前10時34分に脳室ドレナージによる手術を開始したときには、手遅れの状態であったこと

がそれぞれ認められる。

 ところで、前記3、(5) のとおり、医師である一審被告の前記2の過失がなければ、患者であるEに対し、医療水準にかなった医療が行われることにより、Eがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が認められるのであるが、この可能性は法によって保護されるべき利益であり、医者である一審被告の過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者であるEの法益が侵害されたものということができるから、一審被告は、Eに対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解される(最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁)。

 したがって、一審被告は、この延命の可能性が失われたことによりEが被った精神的損害について賠償する責任があるというべきである。そして、一審被告がEが脳ヘルニアを起こす危険性についての判断を誤ったため、Eは一審被告診療所においてグリセオールの投与を受けたものの頭蓋内圧亢進状況についての注意を払われないまま待機させられ、一審被告診療所に来院してから約73時間後に脳ヘルニアを起こし、死亡するに至ったこと及び直ちに腫瘍摘出手術を行うことのできる病院に転院された場合の延命の可能性に関する本件に現れた一切の事情によれば、Eの上記精神的損害に対する慰謝料としては400万円をもってするのが相当である。また、本件事案の内容及び審理経過からすると、弁護士費用として50万円を認めるのが相当である。

 以上によれば、Eの相続人である一審原告らの本件請求は、夫である一審原告B(相続分2分の1)について、慰謝料200万円及び弁護士費用25万円の合計225万円並びに平成3年12月5日以降の遅延損害金、子である一審原告C及び同D(相続分各4分の1)について、それぞれ慰謝料100万円及び弁護士費用12万5000円の合計112万5000円並びに平成3年12月5日以降の遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。

5 結論
 よって、これと一部異なる原判決は相当でないから一審被告の本件控訴に基づき変更することとし、一審原告らの本件各控訴は理由がないからこれをいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 奥山興悦 裁判官 杉山正己 裁判官 山崎まさよ)

 
 

以上:1,656文字