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ミッドウェー海戦前の情報収集合戦について参考記事

平成20年 8月20日:初稿
○ミッドウェー海戦は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「太平洋戦争中の昭和17年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー沖で行われた海戦。アメリカ海軍は航空母艦1隻に対して、日本海軍は主力航空母艦4隻とその全艦載機を喪失するという状況に至った。この結果、日本が優勢であった空母戦力は均衡し、以後は米側が圧倒していく事となる。」と解説されています。

○昭和16年12月8日真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は、その7ヶ月後のミッドウェー海戦で大敗し、アメリカ優位に変わった事実をひた隠しにして泥沼状態に突入していきます。戦時においては敵の出方を読むために情報収集合戦が繰り返され、太平洋戦争に詳しい鈴木澄男行政書士HPの「海軍乙事件」には、昭和19年3月31日に福留参謀長の乗った飛行機が墜落して機密書類の入った防水カバンがゲリラを経由して米軍の手に渡り解読され、米軍はこの機密書類を写真に撮った後潜水艦で墜落現場に戻す防諜処置を講じたと記載されています。

○情報が読まれたかどうかの情報も重要であるため情報を読んでいないとの外形を作ったわけですが、平成20年8月15日の三陸新報記事に海軍通信兵による「哨戒中に監視船拿捕」の記事が掲載されていました。これによれば昭和17年6月ミッドウェー海戦の4ヶ月前2月のマーシャル群島空襲の際、一隻の監視船が暗号表や乱数表を持ったまま米軍に拿捕され、暗号表と乱数表が米軍の手に渡ったことが推測されます。

○然るに日本軍はこの米軍に渡ったと思われる暗号表と乱数表をその後使い続けたとのことですが、これが事実とすれば,当時の日本軍は如何に情報管理に無頓着であったか唖然とするところです。この平成17年2月1日マーシャル群島空襲及び監視船(カツオ船?)拿捕及び暗号表と乱数表についての記事はネット上は見あたらず、参考のため以下に引用します。

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平成20年8月15日付三陸新報記事抜粋
「あの時の暗号表が…」 哨戒中に監視船拿捕
   気仙沼市菅野さん 解読するため米軍利用か

 日本軍が大敗を喫し、太平洋戦争の戦況が米国主導となり敗戦へのカウントダウンが始まったとされるミッドウェー海戦。日本軍の暗号が米軍によって解読され、作戦を読まれていたのが原因とされるが、「あの時に米軍に渡った暗号表がもとになったのでは」と証言する男性が気仙沼市にいる。毎年8月に入って原爆、終戦と報道されるたびに、こう思えてならないという。戦後63年、「戦争ほど無駄なものはない」と語る。

「仲間減り、今言っておきたい」
 この人は市内太田1丁目の菅野春雄さん(86)。農家の二男に生まれ、モールス信号で「世界の人と話がしたい」と、16歳で海軍の通信兵に志願した。

 「当時は長男以外、戦争か、満州か、ブラジル開拓かという時代」と振り返る。昭和13年6月1日に横須賀海兵軍に入った。通信学校を経て、同16年12月8日の開戦を南方洋上の駆潜艇で迎える。
 同年兵が打電したという真珠湾攻撃を指示する「ニイタカヤマノボレ」を受信し、艦長に報告した。しかし、その意味を艦長は知らず、トラック島の連合艦隊基地で大本営からの「12月8日、戦闘行動開始」の命令と知る。

 同17年2月1日、マーシャル群島空襲があった。菅野さんは駆潜艇に乗り、徴用された監視船(カツオ船)とともに哨戒活動の任に就いていた。
 当時、全船が暗号表を持っていたという。敵に分からないよう、戦略・戦術を命令するのに用いたのだが、内容の重要性に応じて、簡単なものから難しい暗号まで何種類かあり、その全てを各船が持っていたというのだ。

 そして、この空襲時の哨戒活動中に、一隻の監視船が暗号表を持ったまま米軍に拿捕された。開戦から戦況を有利に進めてきた日本海軍にとって、大きな転機となったミッドウェー海戦は、この4ヶ月後だった。
 同海戦で日本軍は、作戦を読まれ、待ち受けた米軍に致命的な打撃を受けた。航空母艦四隻、兵員3500人、飛行機200機余。太平洋戦線の作戦主導権は米国に移り、勝敗を決する意義を持ったとされている。

 菅野さんはその後、北方のキスカ島などにも赴いた。通信兵として、米国の通信の傍受にも当たった。米軍の動きのほか、日本国内の状況なども一定程度把握できたが、通信部隊の意見は、上官には信じてもらえないことが少なくなかった。

 「拿捕されて暗号表をとられても、日本軍はミッドウエー海戦でも真珠湾攻撃と同じ乱数表を使った。珊瑚海海戦や撃墜による山本五十六連合艦隊司令長官の戦死など、色々な場面で日本側の作戦が読まれていた。あの時に米国に渡った暗号表や乱数表がもとになったと思えてならない。」と菅野さん。

 16年ほど前に戦争体験をつづった回想録「濃霧はそのとき晴れなかった さようなら『キスカ』」には、書けなかった。「キスカの仲間たちも少なくなった。今言っておかないと」。恒久平和の願いと込めて口を開いた。

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