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「秀吉と家康と父に持つ男-結城秀康」を読んで

平成18年 7月19日:初稿
○趣味に新項目として「歴史等」を加えました。大学受験の社会科目では一応「日本史」と「世界史」を選択し、特に「日本史」は好きな科目でした。歴史好きのきっかけは小学校4、5年生の頃、源平合戦の話しに夢中になったことです。今はすっかり忘れてしまいましたが、源氏の家系を何代にも渡ってシッカリ暗記しました。

○その後は中学2年の時、NHK大河ドラマ第2作目の「太閤記」に夢中になりました。当初、信長役高橋幸二の大ファンとなりましたが、信長死後は、秀吉役緒形拳の演技力に魅せられ、戦国時代が好きになりました。毛利攻め中、主君信長の死を知らされたときの緒方秀吉の超オーバーな驚愕の表情の演技が今でもシッカリと瞼に焼き付いています。

○その後もNHK大河ドラマは出来るだけ見るようにしていましたが、多くの日本人と同様やはり信長、秀吉、家康の戦国時代の話しが一番興味を持てます。当初、家康は余り好きではなかったのですが、滝田栄の徳川家康を見て以来少々見直しました。

○平成12年放映大河ドラマ初の全編ハイビジョン作品「葵徳川三代」も欠かさず見たものの一つですが、その時「結城秀康」に興味を持ちました。たまたま、日弁連委員会で東京出張の帰り、東京駅新幹線改札口前の書店で、偶々「秀吉と家康と父に持つ男-結城秀康」を見つけて購入し、読んだときの感想を掲載します。

東京出張の帰り、東京駅新幹線改札口前の書店で、偶々「秀吉と家康と父に持つ男-結城秀康」を見つけて購入し、帰りの列車で半分、翌朝残り半分を読み終えました。日曜夜の葵徳川3代を書かさず見て、家康近辺に興味がったからです。

家康、若かりし頃、鷹狩りの後の湯治場に背中を流しに来たおまんの尻を見てにわかに劣情をもよおし、押し倒して事を成し遂げた後に生まれたのが、於義丸こと後の秀康です。家康がおまんと事を成すのはこれっきりでした。

妊娠を知った家康正室築山殿が、怒っておまんを裸にして木に吊して折檻しますが、本田作左右衛門に救われ何とか於義丸を出産します。しかし家康にとってはおまんも於義丸も歓迎されない存在で、疎んぜられたまま時は経過します。

その後、家康は伊賀者の血筋の側室お愛の方に長松丸後の秀忠を生ませ、秀忠は伊賀者服部半蔵の厚い庇護を受け、半蔵の謀略で長男信康を死に至らしめ、信康の遺言と称して於義丸を出し抜いて徳川家の世継ぎとなります。

於義丸は11歳で秀吉の養子として出され秀吉の寵愛を受けますが、秀吉の実子鶴松誕生後、関東の結城家の養子に出され、結城秀康となります。

秀吉死後秀康は、家康に秀忠の庇護者となるべく利用され、関ヶ原の合戦に際しては、宇都宮で東北上杉の防波堤の役目を負わされ、戦後の論功行賞で越前68万石を与えられます。

しかし、家康は最後まで秀康を信頼せず、半蔵が盛った毒を継続して飲まされ、大阪の陣での豊臣家の滅亡を見る前に死去します。秀頼の養兄秀康は、豊臣家に組みする可能性があると見られていたからです。

伊賀者半蔵は、同族お愛の方が生んだ秀忠の安寧のために、長男信康と二男秀康いずれも謀殺しました。家康は、徳川家の確固たる基盤を築くため秀康は利用するだけ利用して半蔵に殺させます。

この小説での家康の秀康に対する言動は全て徳川家の安泰をはかるための打算だけでした。親子の情愛などかけらもありません。どこまでが史実か判りませんが、読み上げたとき、この時代の権力闘争の凄まじさ、人間のおぞましさに妙に感動しました。

権力を前にした人間関係の本質は、未来永劫変わらないと思います。戦乱の世を権力を集中する事により、世界史上希な260年に渡る太平の世を築いた家康の功罪を通じて人間を勉強していきたいと思った次第です。
以上:1,523文字

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