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”東北大定年の民俗学者、第二の人生は漁師見習”記事紹介

平成30年 4月11日(水):初稿
○度々紹介していますが、気仙沼関係者には有名な郷里気仙沼市で小・中・高校と同学年生であった小田明紀さんの気仙沼中学校20回生支援会のブログ「気中20+PLUS」があります。私もちょくちょく訪れては気仙沼情報を仕入れていますが、平成30年4月9日の「川島さんの再出発」には、えー、こういう人生もあるんだと、驚きというか、感激しました。

○その川島さんは、気仙沼小・中・高校の1学年下の方と言うことで、学生時代、顔を拝見したことはあるはずですが、気仙沼リアス・アーク美術館副館長時代に被災され、実家とそこにあった蔵書類の殆どを流失されたとのことです。その後、神奈川大学特任教授、東北大教授を歴任され65歳で東北大教授を定年退官された後、第二の人生は漁師見習となり、以下のヨミウリ・オンライン記事で紹介されています。

○川島さんは、「約40年間にわたって全国の漁師を訪ね歩き、丹念に聞き書きをしながら海辺に伝わる習俗を研究してきた」とのことで、日本カツオ学会会長も務められています。日本カツオ学会は初めて知りましたが、そのHPでは、川島さんが会長の挨拶をされています。

○私の父も15歳から65歳まで漁師をしていましたが、56歳から65歳の漁師生活最後の10年間はカツオ漁船乗組員でした。そのせいか、私もカツオの刺身大好き人間になっています。ニンニク醤油をたっぷり付けてのカツオ刺身は、マグロのとろよりも美味いと感じます。60歳過ぎてのカツオ漁船乗組員の仕事は、大変だったはずですが、65歳定年退官後、漁師見習に挑戦する川島さんの意欲には脱帽です。

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東北大定年の民俗学者、第二の人生は漁師見習
ヨミウリ・オンライン2018年04月07日 18時02分


海の習俗の研究で知られる民俗学者の川島秀一さん(65)が3月末で東北大を定年退職し、今月から福島県新地町の災害町営住宅に移り住んでいる。

宮城県気仙沼市出身で、町とは縁もゆかりもない。それでも「漁師見習として現場に飛び込み、一から勉強してみたい」と、新たな土地で第二の人生を踏み出した。

転居翌日の5日早朝、胴長姿の川島さんはシラウオ漁の試験操業に初めて参加した。浜に戻ると、漁師たちから水揚げ作業の手ほどきを受けた。

船の水揚げ量は約10キロ。網にかかったシラウオを外し、傷んだ魚を1匹ずつ選別していく。「細かい仕事だ」と感心しながら、慣れない手つきで作業を続けた。漁師らが「津波によってシラウオの漁場がすっかり変わってしまった」と語ると、「それだけ海底の様子が変化したんだ」と興味深そうに聞き入っていた。

約40年間にわたって全国の漁師を訪ね歩き、丹念に聞き書きをしながら海辺に伝わる習俗を研究してきた。昨年度までの5年間は、東北大の災害科学国際研究所(仙台市)に在籍。「漁撈ぎょろう伝承」「海と生きる作法」などの著書があり、日本カツオ学会会長も務める。

新地町に移り住むきっかけは、地元漁師の小野春雄さん(66)との出会いだった。昨年12月、仙台市で行われた映画上映会で偶然知り合い、年齢が近いこともあって意気投合した。「秀ちゃん、そんなに浜が好きなら新地に来たら?」と誘われ、小野さん宅で「常磐もの」の新地産カレイを何度もごちそうになるうちに、気持ちが傾いていった。

これまで研究者として観察してきたが、「いつも『何の役にも立っていない』というもどかしさがあった」という川島さん。シラウオ漁の初日を終え、「実際に自分の手を動かしてみると、聞き書きとはまた違って勉強になる。一緒に浜で暮らし、同じ空気を吸ってみて、震災で漁の仕事がどう変わったのか、じっくり見てみたい」と語った。

小野さんも「秀ちゃんは新地の宝。みんな話を聞くのを楽しみにしているし、漁を手伝ってくれればなお助かる」と話す。7日は小野さんが新造した「第18観音丸」の進水式があり、川島さんが司会を務める予定だ。

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