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ある同年生の過酷な津波体験-凄まじい迫力に圧倒されます

平成25年 2月18日:初稿
○私が愛読している新聞の一つに郷里気仙沼市内を中心に発行されている三陸新報があります。「昭和52年10月8日ようやく宿願果たす」記載の通り、昭和52年10月の私の司法試験合格も「難聴を克服して」なんて誇大表現で記事にして頂きました(^^;)。40代半ば程までは、郷里気仙沼の仕事も一定割合でしており、週に一度は気仙沼に帰り、お世話になっていた弁護士小笠原一男先生の事務所の一角をお借りして打ち合わせ等をしてきました。しかし、ここ10数年は気仙沼の仕事はしなくなり、気仙沼情報は、1日遅れで配信される三陸新報に頼っています。

○その三陸新報に毎週水曜日に掲載される連載記事として「リレー随想」があります。気仙沼市及びその近辺在住の方の随想が掲載されていますが、平成25年2月6日、気仙沼市在住の気仙沼中学同年生で受験時代気仙沼ギター研究会等でご一緒してお世話になった林(旧姓奥玉)小春さんの「子どもたちに拍手を」との表題の随想が掲載されました。「気中第20回生還暦祝い後1年震災復興支援感謝の集い」で「当時を思い出しながら涙ながらに話す元一景島保育所所長Cさん」と紹介していた方です。

気中20+PLUS2013-02-15付記事「小春さんの3.11」にも紹介されていますが、東日本大震災直後の死を覚悟した過酷な状況が凄まじい迫力でリアルに伝わり、圧倒されました。以下、主要部分を引用させて頂きます。
震災以来、普通の幸福とは?当たり前の幸福とは?と自問自答しながら暮らしてきた。全ての物をなくして一変してしまった生活。当時、一景島保育所に勤務していた私は、ことのほか地震と津波には敏感だった。

あの日の地震は大きかった。長かった。子どもたちと一緒に避難した中央公民館への道のりは遠く感じた。到着と同時に、2階の和室に座り込む。
「ここでも危ない!10メートルの津波だってぇー」。おいの叫ぶ声。はいずるように上へ、より上へと……。71人の子どもたちを一人一人おんぶして、はしごを伝って屋根のてっぺんまで上り詰める。近所の子どもたちも十数人いた。
それは、大人たちの見事な連携プレーだった。「私たちはいいから、子どもたちを助けてぇー」。高齢の方の声が聞こえた。子どもたちを守ろうと誰もが思った。

津波は何度襲来しただろう。階下からカーテンが投げ込まれ、「子どもたちにかぶせてー」と公民館長の声。
「がんばろうねぇー、だいじょうぶぅ!」と保育士の声。
「キャッ、助けてぇママー」。お母さんと子どもの声が飛び交う。
悲痛な声が叫び狂う。皆、震えていた。青ざめていた。

やがて津波は火の海と化し、さらに子どもたちと私たちを追い込んだ。手も顔も煙で真っ黒。家が流され屋根の上で人が叫んでいる。車も船もひっくり返り、目の前に油の入った大きなタンクが横たわっている。まるで地獄だ。

雪がのんのんと降った。凍えるような寒さに、やむを得ず3階へと下がったが、身動きができないほどの人、人。その間、相次ぐ余震と爆発音に身がたじろぎ固くなる。自衛隊からわずかの水と食糧が投げ込まれるが足りない。辺りは暗闇に包まれ絶望のふちに立たされた。

「ダメだ!」何度も頭をよぎる。へこむ大人たち。しかし、子どもたちはへこたれなかった。時折聞こえる天使とも思える歌声、生きようとする希望の声、命の叫び、誰もが救われた。過酷な極限状態の3日間を耐え抜いた子どもたちに拍手を送りたい。そして、子どもたちを励まし守り続けてくれた全ての人達に感謝。

また、ミルクが無くて生きる術をなくしていた赤ちゃんたちに、がれきの中からミルク代わりにとガムシロップを見つけてくれた方、ありがとう。

陸からの救助は無理と判断し、空からヘリコプターの指令を下してくれた猪瀬都知事、本当にありがとう。
震災がもたらした本当の幸福の意味を「どんなに苦しくても」ここから始めようと思う。子どもたちの未来へエールを送りたい!
○3月11日の翌日12日に東京都猪瀬副知事の指示で東京消防庁ヘリコプターでの救助作戦が始まり、震災3日目の13日午後1時に最後のヘリが現場を飛び立ち、中央公民館に避難した446人全員が救助されました。震災当日から丸3日間過酷な極限状態を耐え抜いたことになります。この救出劇についてまとめた気中20+PLUS2012-03-12付記事「猪瀬さんに感謝」を以下に引用します。
11日の地震後、気仙沼市潮見町の気仙沼市立中央公民館には近くの保育所に通う幼い子ら71人を含む約450人が避難しました。その後の津波で3階建ての公民館は2階天井付近まで水没して完全に孤立。そして気仙沼湾に流れ出た重油が燃えてその炎は海面のがれきに燃え移り、公民館を取り囲みます。おそろしい風景です。死を覚悟した人も多かったといいます。そのひとり、市の心身障害児施設「マザーズホーム」の園長内海直子さんは11日の夕方に携帯電話で家族にメールを送ります。
「公民館の屋根 げんき」その後「火の海 ダメかも がんばる」

そのメールを読んだロンドンに住む長男のアクセサリーデザイナー直仁さんは、日本時間午後9時に投稿サイト「ツイッター」に救助を求めるメッセージを書き込みます。
「障害児童施設の園長である私の母が子供たち10数人と一緒に避難先の気仙沼中央公民館の3階にまだ取り残されています。外は津波で浸水し地上からは近寄れない模様。空から救助が可能であれば子ども達だけでも助けてあげられませんか」

そのメッセージがほかのツイッター利用者を介して作家であり東京都副知事でもある猪瀬直樹さんに伝わります。猪瀬さんはすぐに東京消防庁防災部長を呼び、救助に向かうよう指示します。そして、東京消防庁のヘリコプターが中央公民館上空にその姿を現したのは、12日午前9時40分のことでした。
途中から自衛隊のヘリも応援に加わり、この日は重病人と高齢者、子どもなど約50人を収容。残った約400人は2度目の夜を迎えました。そして13日午後1時に最後のヘリが現場を飛び立ちます。こうして、歩いて脱出した人も含め、446人全員が無事に生還を果たしたのです。

番組を見て、組織の力を活かすリーダーシップの大切さをあらためて知らされました。東京消防庁の方々には、鹿折地区での救助活動をはじめ、気仙沼支援に大変なご尽力をいただきました。猪瀬さん、そして東京消防庁はじめ関係者の皆様、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。
○この救出劇の詳細は、河北新報記事「証言/450人が孤立 気仙沼中央公民館/迫る猛火 水・食料枯渇」に掲載されています。


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