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久しぶりに気仙沼入りして復興の道は険しく遠いと実感

平成25年 1月17日(木):初稿
○平成25年1月15日から気仙沼入りして、気仙沼ホテル観洋に宿泊しています。15日早朝、東北新幹線、在来線のJR気仙沼線と乗り継いで、気仙沼駅に到着し、タクシーで港町の気仙沼ホテル観洋に到着しました。古町の気仙沼駅から、新町、三日町、南町を経由して港町に入りましたが、三日町までは相変わらず見慣れた町です。ところが、南町に入ると、中学・高校時代に新聞配達をした地区で良く見慣れているはずの地区ですが、風景がスッカリ変わってしまい、どこを走っているのか判らなくなります。あるべきところにあるべき建物がないと風景がスッカリ変わり、印象がまるで違う町になることを実感しました。

○仮設商店街の前も通りましたが、まだ開店前のため人通りは殆どありません。しかし、恐縮ながら、開店時刻以降は人通りが増えるのだろうかと疑問も感ずるたたずまいでした。気仙沼ホテル観洋は港町の高台にあり、津波の被害は、殆ど無かったと思われますが、震災後は、避難所としても利用され、ホテル業務再開までは相当時間がかかったようです。東日本大震災前は何度か利用して慣れたホテルで、露天風呂が楽しみでしたが、残念ながら露天風呂は閉鎖されていました。

○2階の和食処「鮹」たこから外を眺めると海から僅かの距離で東日本大震災の津波は10m近い高さが来たのではと思われるところに大きな建物の基礎工事中でした。こんな海に近い場所に良く建築が認められたものと不思議に思って仲居さんに聞いてみると水産加工場で居住用建物は嵩上げ後の土地でないと建築は認められないけれども産業用建物の建築は、津波に耐える堅固な建物であれば建築が認められているとのことです。海の近くに津波で流されなかった建物が点在していますが、殆ど使用されている形跡が無く、気仙沼市(費用は国負担)の解体順番待ちの建物がまだまだ多く残っているとのことでした。

○津波で多くの建物が流された地区でも海からの距離によって区分けされて建築が認められる地区も出てきており、復興補助金を使用して、元の場所に再度営業用建物を再築して事業復興を目指す方もおられると言うことです。しかし、津波で建物を流された地区は、殆ど人通りもなく、そのような場所に営業用建物を再築しても、果たして以前のようにお客様が戻ってくるのだろうか、以前のように売上が上がるのだろうかと疑問に感じます。おそらく事業復興を目指す方もこの点が最も心配なことと思われます。被災されて居宅を失った方々は、仮設住宅或いは仮設住宅代替借家・アパート等に分散して居住しており、元の場所に戻るめどは立っていない方が殆どではないかと思われます。

○当事務所では、気仙沼市朝日町に事務所・工場を所有していたところ東日本大震災の津波で根刮ぎ流されて、社長さんも犠牲になったため事業閉鎖した会社の債務整理事件を受任しています。数百坪の敷地は、現在は気仙沼市にがれき等の置き場として1年更新で賃貸していますが、今後の利用方法等がまだ決まっておらず、将来、市が買い上げることになるとしてもその価格等が全く未定です。そのためこの不動産処分が出来ないため債務整理事件が終了しません。同様の事例は他にも多くあると思われます。

○このように津波で利用不能となり、中途半端な状態に置かれている不動産の今後の利用方法等について目処が立たないと、事業再興を目指して事業用建物建築するにも、どの場所にどの程度の規模で建てるかも検討出来ないと思われます。復興と言うのは簡単ですが、現実には、踏まなければならない手順が数多くあり、その道は険しくて遠いなと実感した次第です。

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