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還暦となる新年を迎えて-仙台弁護士会会報記事転載

平成23年 2月16日(水):初稿
○「気仙沼中学校42年卒第20回生還暦祝い会出席」を続けます。
気仙沼中学校同年生全体の集まりは、平成22年8月14日の物故者慰霊法要・法宴以来半年ぶりですが、それ以前は、平成17年8月14日の女性歳祝会、年度は忘れましたが、数え年42歳の時の男性歳祝会、数え年30歳位の時の歳祝会と5回程参加しています。いつもクラスの3分の1程の出席で参加する顔ぶれも限られていますが、久しぶりに集まる同年生との交流は実に楽しいものです。

○同年生の皆さん、歳はとっても、三つ子の魂百までの諺通り、基本的性格は全く変わっていないように感じます。クラス一の悪ガキであった身長180数㎝の長身イケメンA君とも数十年ぶりで会いましたが、気仙沼に帰る車中で飲んできたらしく、午後4時の写真撮影開始の頃には、スッカリ出来上がって、大きな声で彼方此方にヤジを飛ばし、午後5時からの祝宴では、言いたい放題言って皆を笑わせてくれました。現在は東京で建設会社社長さんをしていると聞いてビックリしました。

○祝宴では、様々な企画があり、その中でクラス対抗物知り大会がありました。主に昔の映画を題材とした問題が出されて、クラス代表2名が、○×の札を持って回答し、誤った回答者は脱落していく勝ち抜き戦で、私がクラス代表の一人として参加しました。我々の時代の映画ゴジラシリーズ、加山雄三主演若大将シリーズ等の映画のエピソードが問題として出され、私は主にA君の指示に従って回答をして3位まで残りました。

そのA君と並んでの記念写真とおまけ写真です。A君のフサフサぶりと私の寂しさぶりが目立つのが辛いところです(^^;)。
 

突然ですが、仙台弁護士会会報に掲載した年男・年女シリーズ「還暦となる新年を迎えて」を転載します。

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私は、昭和26年8月5日早朝午前2時、当時心臓病で身体の弱かった30歳の母のお腹から、8ヶ月目に体重1.8㎏の早産未熟児としてこの世に出て来ました。母の話では、出て来たものの仮死状態で、泣き声一つあげず、助からないだろうとの産科医のご託宣に棺桶まで用意したところ、産科医が、試しに私の小さな足を掴んでぶら下げて振ったら、くしゃみをしたので、これは生きられるかも知れぬと懸命に蘇生を試みたとのことです。

同期のA弁護士には「蒲柳の質」と看破されましたが、生来心身共の軟弱さ故、何をしても普通の人より劣っている私が,何とか弁護士稼業で生計を立て、人並みに家族も持ちこの原稿が誌面に出る頃には爺にもなり、還暦目前の現在まで生き長らえているのは、ただただ神仏のご加護のお陰と感謝しているところです。

心身の軟弱さを自覚し、健康には人一倍留意して毎日のストレッチ、筋トレ、土日早朝のテニス等継続して若作りを試みるも、現実は厳しく、髪は白く、且つ、量は激減し、頭の地肌を隠すのに苦労し、顔のシミ・シワも増える一方で、老眼鏡が必需品となり、一部の歯も抜け、難聴は一層進み、老いは容赦なく進行しています。

弁護士稼業も32年目に入り、いい加減、足を洗いたい心境になりつつありますが、働かずとも食べられる程の財をなした訳でもなく、今年高校3年になる息子が一人前になるまで、もう一働きしなければなりません。そこで還暦となる新年を迎えるに当たり、厳しい競争時代を何とか食いつないで行くべく、あれこれ思索しているところです。一応の弁護士定年を66歳の12月と決めており、折角、私なりに整えた法律事務処理システムをどなたかに継いで貰いたいのですが、私の人徳不足で寄りつく若手法曹が出てこないところがつらいところです。


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