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新64期司法修習生事務所訪問雑感2-私の来し方

平成23年 2月10日:初稿
○「新64期司法修習生事務所訪問雑感」を続けます。繰り返し記載していますが、業務多忙解消・事業拡張理由でのイソ弁必要性は当事務所にはありません。業務も多忙でなく、事業拡張意欲もないからです。ただ私なりに作り上げてきた法律事務所ハード・ソフトを私一代で終わらせるのがちと勿体ない気がして私の事務所を継ぎたいとの強い意欲を持った修習生が出て来たら採用しようかと思っており、ここ数年修習生の事務所訪問を受けています。

○平成23年2月8日の7名の訪問を受け、昭和53年、私の仙台での司法修習時代を振り返りました。当時仙台地裁配属修習生は12名だけ、修習生としての行動はだいたい12名一緒で、事務所訪問も、5,6事務所行った記憶ですがいつも12名一緒でした。当時は修習生はいわば金の卵で就職先に苦労することはなく、私自身は修習先の事務所ボスに是非来て欲しいと言われており、就職先で苦労することは全くありませんでした。他の修習生も同様で就職先で苦労したと聞いたことはありませんでした。

○私は大学4年次終了後、実質卒業3年目に合格するまで2年半、郷里気仙沼で、当時関東在住で今は亡き恩師の通信指導を受けながら受験勉強を続け、合格後は郷里気仙沼で即独の予定でした。ところが修習先の弁護指導教官から気仙沼に帰る前に何年でも良いからイソ弁として働いて欲しいと強く要請され、直ぐに気仙沼に帰る必要性もなかったことから2年間お世話になり、結局、仙台で独立開業し、現在に至っています。

○当時気仙沼は周辺合わせて人口10万人以上に弁護士が僅か2名だけで、いずれも超多忙業務と言われ、仙台は人口100万人程度に110数名も弁護士が居て気仙沼よりは経営も楽ではないとの噂でした。そこで、食べるために気仙沼での即独を考えたのですが、2年間仙台でイソ弁をした結果、何とか仙台でも食べられるかも知れないと考え仙台で独立開業しました。しかし独立しても、いつまで食べられるか、との大きな不安をいつも抱えていました。気仙沼で超多忙に仕事をされていたA先生から、10年間以上弁護士稼業をしているが、顧客が途絶え、弁護士Aもこれで終わりかと思うときが毎年あるとも聞かされていたからです。

○結果として、弁護士としての売上は、弁護士29年目の平成20年までは、多少のでこぼこはあるも、ほぼ右肩上がりでやってこれました。しかし、売上はこの平成20年をピークに平成21、22年と減少に転じ、本年は更に減少する可能性があり、せめて売上減少を最小限に食い止めるためには相当のマーケッティング努力が必要と痛感しています。当事務所売上一定部分を占めてきた多重債務関連事件が激減し、且つ、弁護士数が360名にも激増しているからです。

○しかしそれでも私は、自分の弁護士としての来し方を振り返ると他の職種に比べたら、弁護士稼業は相当恵まれているとも実感します。今から10年前位までは私より10年、20年若い弁護士さんたちがどんどん独立し、10年、20年先輩の私より遙かに稼いでいる雰囲気を感じ、なにより、普通より能力が劣る上に、人見知りの引っ込み思案で何事にも控えめで、商売人には全く向いていない私のような人間ですら、何とか弁護士として30年以上食べてこれたからです。

○ただ私はこのような自分の性格を強く自覚していましたので、普通の人と同じようにやっていたのでは食べられないとの強い自覚だけはあり、ああでもない、こうでもないとの多少の努力はしてきたつもりです。もし、現在の厳しい時代に弁護士になったら、到底、並大抵の努力では食べられないことは明らかですので、更に一層の努力・工夫が必要と自覚し、私だったら、ああする、こうするとの考えがあるのですが、今般、事務所訪問に来た修習生には、この厳しい時代の自覚が不足しているように感じました。私だったらどうするかと後日述べたいと思っております。
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