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人間万事塞翁が馬-私の場合

平成20年12月23日(火):初稿
「人間万事塞翁が馬」の諺は中学生の頃、学んだように記憶していますが、この諺での「人間(じんかん)」を人間(にんげん)と間違えて記憶していました。この諺を初めて学んだときは、「じんかん」と教えられたはずですが,私自身の記憶力の悪さを改めて実感しました。「みぞうゆう」を嗤う資格はありません(^^;)。

「人間万事塞翁が馬」とは,ご存じの通り、「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」と言う意味ですが、この「禍福というのは予測できない」と言う点は,その人の心構えで相当違ってくることをこの諺は教えています。

○私のこれまでの人生で最大の禍(わざわい)は昭和60年5月の離婚でした。「鶴亀通信」「離婚のストレス」に記載していますが、離婚時のストレスは私の予想を遙かに超えたものでした。結婚当初より前妻との仲はうまく行きませんでしたが、子供が生まれ、何より子供のために絶対に離婚はしたくないと思って、離婚を強く望む前妻を懸命に説得し、時に涙を流して何とか思いとどまって欲しいと懇願しました。

○しかし前妻は、そんな私に最後は激しい嫌悪の情を示し、いわば追いすがる私を振り切っての離婚でした。正に妻に逃げられた私は、スッカリ自信を失い、人間不信に陥り,人に会うのが嫌になり、弁護士会の会務は勿論のこと、人の集まる場所に行くのが嫌で嫌で仕方がなくなりました。

○ある後輩弁護士から,ズバリ、「小松さん、弁護士のくせに離婚なんかしてもう信用がなくなってもうオシマイですね。」と言われて,一層意気消沈し、完全自信喪失状態となったこともあります。この後輩弁護士、今思うと私を励まそうと敢えてきついこと言ったのかも知れませんが,当時はそのように考える余裕は全くありませんでした。

○生来気が小さく、人見知りが激しく、くよくよする性格の私にとっての離婚のストレスは大変なものでしたが、そんな中での救いは、やはり周囲の方々の思い遣りでした。離婚届提出日に親しい弁護士3名が私を励ます会を開いてくれたのを初め、当時のテニス仲間等が休日等良く私が1人住む自宅に集まり夕食を共にしてくれ、人の情の有り難みを実感出来ました。

○この遙かに予想を超えた厳しい離婚体験は、私を少しは成長させてくれました。「離婚のストレス」に記載したとおり「このように離婚後数年間は精神肉体とも悲惨な状況が続き、離婚などすべきではないとしみじみ思い、自分の離婚後、他人の離婚の事情が良く見え始め、相談を受けると、『あー同じ様なことをしているな』と実感」出来るようになり、家庭学校論を思いつき、「鶴亀通信」を生み、これが私の人生の原動力になり、「自称」男女問題専門家として人並みのお客様に恵まれるようになりました。私はこれを前妻がもたらしてくれた福と思い、身をもって私を指導してくれた前妻には心から感謝しています。

○平成20年司法修習卒業試験不合格者が113名にもなり不幸にも不合格になった方の失意は如何ばかりかと思いますが、「人間万事塞翁が馬」であり、災い転じて福となせるよう努力だけは継続して頂きたいものです。私自身は,福転じて災いとなることも大いにあることも忘れず精進したいと思っているところです。
以上:1,375文字

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