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恩師小野敏夫先生-気仙沼市の学習塾英友会

平成20年 4月21日:初稿
○司法試験勉強、現在の弁護士業務、桐研鑽等多くの分野に多くの恩師に恵まれてきましたが、小学校6年生秋から中学3年3月まで、学んだ気仙沼市内にあった「英友会」と言う学習塾の小野敏夫先生は、私の学業面における最初で最大の恩師と言うべき方でした。

「次姉と比較されてけなされてきた思い出-強い劣等意識」に記載したとおり、私は、母から行く末を心配されて、「(次姉)たけ子は、活発で成績も良いのに、亀一は大人しくて成績も悪く、将来が心配だ。たけ子が男で亀一が女に生まれてくれば良かったのに。」と言われ続け、私は小さい時から、自分自身を普通の人間より劣るダメ人間だと劣等感を持ち続けました。

○このように小さい時から普通の人間より能力が劣ると言う劣等意識を持ち続けてきましたが、そのような私でも努力次第では、普通の人並み或いはそれ以上になれるとの自信を与えてくれたのが、小野敏夫先生が主催する学習塾「英友会」であり、ここで能力が劣るならば工夫と努力でカバーすべきとの精神を植え付けて頂きました。

○10歳年上の長姉が中学時代から通い始めたのが「英友会」の創設期と聞いていますので、昭和29年頃に創設されたものと思われますが、我が家では3歳年上の次姉も「英友会」に通い、私も小学6年生(昭和38年)の秋に入塾しました。「英友会」とは読んで字の如く、英語の友の会で、基本は英語塾でしたが、小学5年から入塾でき、小学時代は算数、国語、中学時代は英語のみを教えてくれる学習塾でした。

○「英友会」は、気仙沼市市内の陣山と呼ばれる丘陵の中腹の、結構急な坂道を上ったところにあり、余り交通の便は良くなかったのですが、我が家のように上の子供が通うとその指導方針が信頼されて下の子供も通うことになり、当時の塾としては繁盛していました。教室は6畳間二間続きの12畳程の広さに細長い3人掛け用座卓が10個前後置かれ、寺子屋のような雰囲気でした。一学年が気仙沼地区と鹿折地区の2クラス分かれ、生徒数は1クラス20名前後だったように記憶しています。

○私は、それまでそろばん塾に一時通いましたが、モノにならず中途半端にやめており、姉たちからはこれからは英語の時代であり、兎に角、「英友会」を中学3年まで続けて英語を得意科目にすることが大事だと励まされて入塾しました。

○小学6年の秋に入塾した時、同じ学年の塾生は小学6年の初めから、アルファベットの筆記体と簡単な英単語を学んでおり、全く英語を勉強していなかった私は、随分差をつけられているように感じて、随分焦りを感じた記憶が残っています。
小野敏夫先生の凄さは、兎に角、「創意・工夫」の方だったことです。
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