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誕生日雑感-父が平船員に戻った56歳に達する

平成19年 8月 6日:初稿
○8月5日は私の誕生日です。とうとう56歳になりました。いつまでも若々しく実年齢より10歳以上は若く見られるのが私の夢ですが、正に夢のまた夢で、老眼鏡や補聴器の装着で、実年齢より老けて見られることもあり現実はままなりません。

○「アルツハイマー病になった父の思い出-介護施設に感謝」に記載したとおり、私の父は87歳で亡くなりましたが、私がこの年齢に達するまでには、後31年もあります。しかし、私自身も87歳まで生きながらえたら、正に望外の喜びであり、おそらくそんなに長生きは出来ないと覚悟しております。

○それは父は私と違って若い頃から身体は大変丈夫で、特に胃腸と心臓が丈夫だったと母から聞いていたからです。酒好きで、飲み始まると一升酒なんて日常茶飯事で、一升酒を飲んでしこたま酔っても胃腸の調子が悪いなんて言ったことが無く、大酒を飲んだ後でもラーメンやおにぎり等を食べたとのことです。

○それに比べて私は8ヶ月の未熟児で生まれ、生まれたときから虚弱児で、幼児時代から中耳炎で病院通いが続き、風邪を引いてはしばしば学校を休み、中学時代は胃炎で、高校大学時代からは過敏性大腸症候群でビオフェルミンが常備薬になるなど消化器系も弱く、最近は椎間板ヘルニアまで発症し、病気には事欠かない軟弱な身体です。

○「父亀治郎の話し」に記載したとおり、父は唐桑尋常高等小学校卒業した15歳から漁船に乗り組み、おそらく私が生まれた40歳には、船頭と言って漁船のトップの漁労長の職にあり、55歳まで鰹船、鮪船等の船頭を続けていました。しかし後進に道を譲るため55歳で船頭を辞め、56歳から鰹船の平船員としての肉体労働の激務に就きました。

○私も、父が船頭を辞め平船員に戻った56歳に達しましたが、父にとってこの年齢でいわば管理職を辞め、現場の平職員に戻るのは相当辛かったのではないかと推測しています。当時、私は16歳の高校1年生で大学進学を希望していたこともあり、私を一人前にするまでは頑張ると言って、結局、65歳まで三重県所属鰹船の平船員として、毎年、盆暮れの1,2週間程度自宅に戻るだけの出稼ぎ生活を10年間続けました。

○父が平船員に戻った56歳に私も達しましたが、私を支えてくれる家族、事務所を支えてくれる事務局、仕事を与えて頂いているお客様等に大きな責任があり、56歳から10年間も鰹船平船員の激務を続けた父を見習い、これからも精一杯弁護士業務に勉めていかねばと思った次第です。
以上:1,020文字

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