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RU平成24年第2回例会報告-凄まじい介護体験に圧倒

平成24年 2月15日(水):初稿
○平成24年2月14日、バレンタインデーは、ツルカメ第一スタジオで、RU(ライジングアップ)平成23年第1回例会が開催されました。第1回は1月に行われ、平成24年会長には医師であるAさんが選出され、介護問題をテーマとすることが決定されています。繰り返し記載していますが、「ライジングアップとは、英文スペルRisingUpで、異なる業種の面々が集まり、お互いに切磋琢磨し、上へ昇ろうという意味で付けられ」、昭和56年頃創立、私が加入したのは昭和59年、原則一業種一メンバーで、医師、歯科医師、県会議員、マリーンスポーツ、化粧品、雑貨小物販売、不動産仲介、広告、建築設計、大学教官、金物、保険業、弁護士等で構成されています。

○昭和56年設立以来、30年目に入ったRUの会員は平均年齢が60歳近くなり、多くの方が、介護を要する親を抱え、Aさんのように自ら自宅介護に当たる方も居れば、介護施設に居る方もおり、さらにあと10~20年もすれば自ら介護される立場になる可能性もあり、介護問題は、切実な問題になっています。90歳になる私の母も、平成23年1月から介護施設に入所していますが、認知症が進行し、平成23年8月時点で、要介護5の段階に進み、私の顔も判らない状態となっています。

○Aさんのお父さんも医師でしたが、50代からの心臓持病を抱え、83歳まで現役開業医を継続するも、85歳で要介護状態となり、Aさんが引き取り、介護のために一戸建てからマンションに移り、3年間在宅介護を継続しているとのことです。現在、88歳で寝たきり状態で要介護5に進み、Aさん自身が、日中は激務の勤務医をこなしながら、仕事時間以外は自宅で奥様と共同で介護に当たっており、その体験談をお話し頂きましたが、その内容に圧倒されました。

○私の場合、26歳で郷里気仙沼の実家を出て以来仙台で生活をしていますが、実家では両親と長姉夫婦が暮らしていました。父は80歳前後に認知症を発症し、81歳で介護施設に入り87歳で亡くなるまで6年間介護施設生活でした。施設に入所する前1,2年程度、共に暮らす母や姉が衰えた父の介護が大変な状況でしたが、介護施設入所後は、相当楽になっていました。

○父より10歳若い母は、父が亡くなった年の87歳頃までは、要介護状態にはなりませんでしたが、87歳を過ぎた頃から、認知症が進行し始め、姉夫婦が自宅で介護するのは大変だと思う状況になりました。私が気仙沼の実家に帰るのはお盆の時期1回だけになり、毎年年末に秋保温泉で家族忘年会を開催してきましたが、平成21年の母の88歳米寿祝い会を兼ねた家族忘年会時点でも、母の相当の衰えを実感し、これでは一緒に生活する姉夫婦が大変だと心配になり、そろそろ介護施設入所が必要ではと話した状況でした。

○しかし母自身が介護施設入所を拒み、姉も出来るだけ自宅で介護したいと自宅介護を続け、平成22年12月の秋保温泉での家族忘年会までは母自身も何とか参加出来ましたが、その衰えぶりに驚き、介護に当たる姉にもはや限界のはずで、介護に当たる姉の身体も心配だと、東京の次姉と共に長姉に母の介護施設入所を進め、平成23年2月にようやく介護施設に入所しました。この時点で要介護3でした。

○介護施設に入ると認知症は更に進行し、平成23年8月時点で私の顔も判別できなくなっており、要介護5に進行していました。要介護3の段階でも自宅介護は大変だと実感しましたが、Aさんは、要介護5の段階で在宅医療での自宅介護を継続しており、責任ある地位にある勤務医の激務をこなしながらのその凄まじい介護体験にただただ圧倒され、凄い!の一言でした。

○自宅介護にこだわるAさんの家族に対する熱い思いにも感動しましたが、到底、自分には真似が出来ないとも実感しました。今後も健康状態維持の涙ぐましい努力を継続し、それでも要介護状態になったら直ぐに介護施設に直行し、家族に迷惑をかけるなとの思いも新たにしました。

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