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補聴器と聴覚障害についての良い話し紹介1

平成18年11月26日:初稿
○久しぶりに難聴の話題です。平成18年11月に補聴器をこれまでの外国製から国産に変えました。この国産は私が40歳前後に最初にアナログ補聴器を購入したリオネット補聴器です。リオネット補聴器は10年以上前にアナログ式を5,6台購入して使用していましたが、7,8年ほど前にデジタル式の外国製を購入してからは殆ど使用しておりませんでした。デジタル式の方がずっと聞きやすいと感じたからです。

○ところが、年齢と共に難聴が進んだのか、ここ数ヶ月その外国製デジタル補聴器では聞き取りづらいと不満を感じるようになり、久しぶりにリオン補聴器仙台店を訪れると、リオネット補聴器にもデジタル式が沢山発売されていました。

○新発売と言うHIーG5Fスーパーミニカナール(CIC)を試用すると以前のアナログ式より遙かに聞き易くなっており、これまで使用していた外国製デジタル補聴器より聞き取りやすいことが明白に判り、思い切って両耳用2台と合わせてお風呂でも使える防水型HIーG4WU/カナールエイドの1台の3台の補聴器を新調しました。

○3台同時購入と言うことで仙台リオン補聴器センター社長さんからは大幅値引きサービスをして頂きました。現在は専らHIーG5Fスーパーミニカナール(CIC)を使用しており、明らかにこれまでの補聴器よりクリアに聞き取ることが出来、私にとっては大枚をはたいての購入でしたが、大変満足しており、デジタル化では一時後れをとった国産メーカーの技術力に感心しました。

○尚、一口に難聴と言っても千差万別で補聴器と難聴者には微妙な相性があり、今般新発売のHIーG5Fスーパーミニカナール(CIC)は私の難聴と相性が良かったものと思われます。従ってこれまで使用していた外国製が技術的に劣ると言うつもりは全くありません。

○ところで突然聴覚障害者となった方の良いお話が平成18年11月20日読売新聞に掲載されました。ちと長文ですが、以下に紹介します。

1級建築士、44歳で失った「音」読みとれた喜び
  ◆恩師継ぎ「読話」指導者に

 その日は突然来た。

 桜井武志さん(61)(東京都杉並区)が1級建築士として独立して3年が過ぎた1982年10月。銀座のマンションの設計が完成し、気持ちよく酒に酔って眠りについた翌朝だった。

 電話の受話器を左耳に当てた時、異変に気付いた。相手の声が聞こえない。左耳の突発性難聴と診断された。

 原因は分からなかったが、さほど深刻には受け止めなかった。「右耳が聞こえれば何とかなる」。9人のスタッフを雇い、次々と舞い込む仕事に追われていた。ところが……。

 間もなく右耳の聴力も落ちてきた。「アー、アー」。毎晩、風呂場で声を出す。だんだん音が遠くなっていくのが分かった。

 すべての音を失ったのは89年秋。44歳だった。

 人知れず、何度泣いたことだろう。だが、その声すら、自分にはもう聞こえない。

 顧客との打ち合わせがうまく出来ず、仕事の依頼が来なくなった。スタッフも辞めていく。家の中で、妻と2人の息子が笑っている姿を見ると、のけ者にされたような気持ちになった。

 「私の口を見るだけで、何を言ったか理解してくれると楽なんだけどな」。客の一言が啓示のように感じられたのは、そんな時だ。

 調べてみると、話し相手の口の動きから言葉を読み取る「読話(どくわ)」という手法が実際にあった。「読唇(どくしん)術」とも呼ばれ、ろう学校でも教えるが、大人になって音を失った人がこの手法に巡り合える機会は少ない。

 90年6月。講習会を見つけ、参加を申し込んだ。

 練習は、講師の口を見つめることから始まった。「たまご」と「たばこ」、「いってきます」と「しっています」……。見分けが難しい言葉はいくつもある。それでもあきらめずに練習を重ねると、パクパクと動くだけだった家族の口から「言葉」がよみがえってきた。「おはよう」「お茶入れる?」。10か月の受講期間が終わるころには会話にも加われるようになった。

 「もっともっと話したい」。失った時間を取り戻そうと上級講習会に進んだ。ただ、長い会話や初対面の人の話を読み取るには、読話だけでは限界がある。コミュニケーションの幅を広げようと手話も覚えた。

 尊敬できる講師から読話を習ったことは幸運だったと、つくづく思う。ろう学校の元校長で、講義の度に、生徒の習熟度に応じたプリントを作ってきてくれた。

 やがて助手役を任されるようになった桜井さんは、一つの夢を講師とあたため始めた。「自習用のビデオを作り、講義を受けられない人にも学んでもらおう」

 その講師が脳出血で倒れたのは2002年夏。代役を務めることになった桜井さんに訃報(ふほう)が飛び込んできたのは翌03年1月だ。10年以上も指導を受けてきた恩師の死。残されたのは、厚さ10センチにもなる手作りのプリントだった。

 図らずも指導者として独り立ちした桜井さんがプリントを使って講義をしていた時、2人の息子からこんな提案があった。「メールマガジンを作って、プリントの内容を紹介し、全国の人が読めるようにしたら」

 息子に手伝ってもらい、04年春に隔週のメルマガ「読話塾」を発刊。夏には自らのノウハウも交えたテキストを出版した。

 そして、この年の暮れ、友人たちの支援も受けて、念願のビデオの発売にこぎつける。

 昨年11月に静岡市で出前講義を行った際、自分のビデオで読話を学び、言葉を取り戻せたという男性に出会った。夢が実りつつある――そう確信できた。来年初めにはDVDの発売も予定している。

 恩師から引き継いだ講義は今も続く。生徒やメルマガ仲間は800人を超えた。「家族と一緒に笑えないことが一番寂しかった」。そう振り返る桜井さんは現在、大学で建築を学んだ長男の剛志(つよし)さん(31)と2人で設計の仕事をこなしている。読話と手話で打ち合わせをし、ともに笑う。

 「今もどこかで孤立している中途失聴者に、この喜びを広めたいんです」

 まず「おはよう」からでいい。自分もそこから変わることができたから――。
以上:2,476文字

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