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難聴に至るまで-幼児から高校時代まで

平成17年 4月 8日:初稿 平成17年 5月15日:更新
○繰り返し記載していますが、私は生来アレルギー性虚弱体質で、しょっちゅう病気をしていました。
3歳頃に右耳から耳漏(耳だれのこと)が流れだし、A耳鼻科に通いましたが、物心が付いた頃には、母に連れられてA耳鼻科に通っていたこと、そして、兎に角、治療が痛くて、耳鼻科通いが嫌で嫌で仕方なかったことを良く覚えています。

○軍医上がりで口も気も荒いA医師は、治療の仕方も荒くて痛いので有名だったと言うことです。今でも良く覚えているのは、治療中にオシッコを漏らして、オシッコの滴がA医師の膝にかかって、「このやろー、良くもやってくれたな!」と叱られたことです。勿論、幼児のしたことですから、本気での叱責ではなく、冗談での笑いながらの叱責でしたが、私にとっては、兎に角、A医師は恐怖そのものでした。

○継続してA医師の治療を受けましたが、結局、慢性中耳炎となり、4歳頃には、鼓膜全体の3分の2の大きさの穴があいた状態(穿孔)となってしまいました。そのため風邪をひいたりすると良く耳漏(耳だれ)が出てきて、そのたびに耳鼻科に通いました。

○小学校に入ると水泳の授業がありましたが、プールにはいると、プールの水が穴の開いた鼓膜から中耳に入り込み、炎症が起きて、耳だれが出ます。そのため小学校2年生位から、水泳禁止を言い渡され、以来高校時代まで水泳の時間は、プールの端っこで見物タイムで他の生徒の水泳を恨めしげに見ているだけの苦痛の時間となり、そのため私は今時珍しい「カナヅチ」のままです。

○当初は右耳慢性中耳炎のみで左耳は何ともなかったのですが、小学校高学年になると風邪をひくと左耳も詰まった感じになり、聞こえが極端に落ちました。その頃には軍医上がりのA医師は引退しており、当時気仙沼で一番評判の良かったB耳鼻科に通いました。

○左耳の病名は、当時は中耳カタルと言われましたが、正確には滲出性中耳炎とのことで、中耳に水が溜まる病気です。中学、高校は、風邪をひくたびに、時に右耳中耳から耳だれの出る慢性中耳炎、時に左耳中耳に水が溜まる滲出性中耳炎となり、学校帰りの耳鼻科通いが年中行事となっていました。

以上:881文字

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