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2013年2月16日発行第95号”ガリレオ弁護士の主張”

平成25年 2月17日(日):初稿
横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの平成25年2月16日発行第95号「ガリレオ弁護士の主張」をお届けします。

○前回のカリギュラ弁護士の論理(2)について相当のご批判を受けたとのことですが、今回の、ホントはやっていないのに家族等周囲の事情を考慮して、あっさり罪を認めて、後から陰で「それでも僕はやっていない」と言うのも立派な生き方」であり、「そんな人を支えるのも弁護士の役割ではないかと考える」との「ガリレオ弁護士」のご主張は更に批判を受けそうです。

○しかし、大山先生は,大いに批判を受けることを承知の上で敢えて「ガリレオ弁護士」を記述されていますが、ここはホントに難しいところです。民事と刑事では、争いの本質が根本的に違うとも言えるからです。方や民間同士の争いで,究極的には財産の得失で自己の財産処分権の行使です。しかし刑事は対検察官即ち国家との争いであり、罪を認めることで例え今回は罰金刑でも前科者の烙印を押されます。そして対国家上の様々な制限を受けることもあり、何より犯罪を犯したと世間からは評価され、「それでも僕はやっていない」と言い続けても、世間一般には通用せず、これによる不利益も生じます。

○私は、刑事事件引退宣言をしてここ4,5年刑事事件は殆ど扱っておらず、また、痴漢の冤罪事件を扱った経験はありません。強姦事件で当初冤罪を主張していた事件を扱ったことはありますが、様々な主張をする被疑者の方に「事実は一つ」のアドバイスに徹して、最後は、「事実はやっています」との供述に変わり、否認に手を焼いていた検察官に感謝されたことがあります。刑事弁護人が検察官に憎まれるのは誉れですが感謝されるのは、誉れではありません(^^;)。

○私の刑事事件方針は、「刑事事件の基本方針-『事実は一つ』」に記載したとおり、「事実は一つ」で「弁護人は事実を曲げてまでも弁護活動をすべきではなく、事実を曲げる行動は極力避けるべき」との考えで通してきましたが、痴漢冤罪事件で、被疑者の方から「ホントはやっていませんが、争うと周りに迷惑をかけるので、ここはやったことにします」と言われたときの弁護方針は悩みそうです。

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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

ガリレオ弁護士の主張

前回のニュースレターにも、多くのコメントといいますか、厳しいご指摘を頂きました。そんなわけで、しつこいようですがもう一回だけ続けます。

批判の内容というのは、冤罪事件に対する、弁護士の対応についてなんですね。「民事事件で土地を争うのなら、譲るというのもあり得る。しかし、刑事事件で冤罪となるときには、断固戦うべきではないか。唯一の味方であるはずの弁護士がそんなことでは、誰を頼りにしてよいのか!」ということです。

私の態度について、「それでも僕はやっていない」という映画に出てきた弁護士みたいだとも言われたんです。ううう。。。
ヒットした映画ですから、見た方も多いと思います。フリーターの主人公が痴漢の疑いをかけられる話ですね。「自分はやっていない。」といくら説明しても、警察官にも裁判官にも取り合ってもらえません。逮捕後、勾留されてしまうわけです。

勾留されているときにやって来た弁護士が、私と同じようなことを言っていたというわけです。つまり、「たとえやっていなくても、争ったら大変だし勝ち目は薄い。やったことにして、示談でもしたらすぐに終わるんだから意地を張らずに終わらせちゃえばいいんだ。」みたいなことを言うわけです。

私自身、この映画を見たときには、こういう言い方には納得のいかないものを感じました。それだけに、この弁護士と同じといわれますと、やはりショックを受けたわけです!

「それでも僕はやっていない」といいますと、ガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」を思い出します。天動説と地動説の対立ですね。ローマ法王庁の見解である天動説に逆らって、地動説を唱えたガリレオは、宗教裁判にかけられるわけです。ところが、ガリレオ大先生は、宗教裁判で自分の主張の正しさを力説するかと思いきや、あっさりと、教会側の主張を認めてしまうんですね。それでもって、陰でこっそり言ったのが、「それでも地球は回っている」という有名な言葉だったわけです。

ガリレオ先生としては、教会と喧嘩するだけバカバカしいという認識があったのではと思います。教会の天動説は、別に神様が主張しているわけではなくて、教会の人間が主張しているだけなんです。そんなものに、本気で争うだけ時間の無駄ということでしょう。

冤罪事件についても、私は同じようなことが言えるのではないかと思うのです。隣人との土地の境界争いなら、相手の主張を認めたとしても、別に大したことではないという認識があります。世の中には、物わかりの悪い人がいますから、争うだけ馬鹿らしいということですね。その一方、刑事事件で有罪と認めてしまうのは、それとは違うと考える方が一般的でしょう。しかし、それはおかしいと思うんです。

裁判で有罪と決めるのは、しょせん裁判官という人間です。世間を何も知らないお兄さんが、司法試験に受かって、少し修習して、5年たてば1人で裁判できるんです。その程度の人でも行う判断ですから、間違えることなんてあって当たり前です。

映画の主人公は、結局最後まで争った後に、有罪となりました。大変な犠牲を払って頑張った人のことは、立派だと思います。その一方、あっさり罪を認めて、後から陰で「それでも僕はやっていない」と言うのも立派な生き方だと思えるのです。そして、そんな人を支えるのも弁護士の役割ではないかと、「ガリレオ弁護士」としては考えています。

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◇ 弁護士より一言

小学校1年生の息子は、少し前までは母親べったりだったんですね。ところが最近、お出かけするときは、「パパ。男同士で行こうよ!」なんて言います。
私としては、単純に喜んでいたわけです。ところが「パパの方がガチャガチャやってくれるし、ハッピーセットも買ってくれるもん!」だそうです。。。
そ、そうだったのか!
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