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2013年2月1日発行第94号”カリギュラ弁護士の論理(2)”

平成25年 2月 2日(土):初稿
横浜パートナー法律事務所代表弁護士大山滋郎(おおやまじろう)先生が毎月2回発行しているニュースレター出来たてほやほやの平成25年2月1日発行第94号「カリギュラ弁護士の論理(2)」をお届けします。

○前回の「2013年1月16日発行第93号”カリギュラ弁護士の論理(1)”」で、私は、「カリギュラ弁護士なんて言葉を聞くと、助平弁護士みたいなイメージです。次回、大山先生は、『カリギュラの論理』と弁護士と依頼者の関係を解説してくれるそうで、どんな内容か楽しみです(^^)。」なんて、無教養丸出しの感想を書いていましたが、今回の回答は、「『カリギュラの論理』そのものをどう考えるかは、なかなか難しい問題を含んでいます。要は、『正しいけれども犠牲が多い。』のと、『間違っているけれども犠牲は少ない。』のとで、どちらを選ぶのかという究極の選択」とのことで、あらためて私と大山先生の教養の違い、目の付け所の違いを痛感させられました(^^;)。

○最終的にはローマ帝国全体のため大規模な対外戦争をして多くの犠牲者をだしたハドリアヌス帝と、自分の気まぐれな目的を達するため周囲に多少の犠牲者を出したカリギュラ(ウィキペディアではカリグラと表記)帝との比較を、「『正しいけれども犠牲が多い。』のと、『間違っているけれども犠牲は少ない。』のとで、どちらを選ぶのかという究極の選択」と捉える視点は秀逸です。

○ハドリアヌス帝の治世が多くの犠牲者を出したとの評価については、ウィキペディアでの解説では、「外交政策を攻勢から守勢に転換し、ユーフラテス川以東のメソポタミア、アッシリア、アルメニアを放棄して、東方の国境の安定化を図った。」ともあり、疑問もありますが、お客様が「正しい」と思っていることを実現するのに、そのコスト即ち損得計算をして、その実現を諦めるかどうかの選択についてのアドバイスは、弁護士稼業をしていると日常的に存在します。

○このような場合は、先ず「正しい」と思っていることが、ホントに「正しい」のかどうかの評価も含めて、アドバイスは、大変、難しいところはありますが、法律実務での流れをできるだけ客観的に説明をして、最終的にはお客様に判断して頂くしかないと思っております。私の場合、「「不満はあるかもしれませんが、裁判までしたならば、測量の費用や弁護士費用で、直ぐに100万円以上かかりますよ。」の次は、「わずか10万円の争いなので、裁判なんかかけないで、痛み分けを申し出て和解する方が費用は安く済みます。」と説明し、「しかし、費用がいくらかかろうと、自分の信念を通すかどうかは、最終的にはお客様のご判断です。」とやってお客様に下駄を預けます(^^;)。

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横浜弁護士会所属 大山滋郎弁護士作

カリギュラ弁護士の論理(2)

前回のニュースレターに多くのコメントを頂きました。大多数の方は、カリギュラの論理に対して、否定的な見解なんですね。私だってそうです。

しかし考えてみますと、そのような反応は、自分自身で悪逆非道なことをしているカリギュラに対して、「お前が言うなよ!」という反発から生じるところが多分にある気がします。その一方、「カリギュラの論理」そのものをどう考えるかは、なかなか難しい問題を含んでいます。

要は、「正しいけれども犠牲が多い。」のと、「間違っているけれども犠牲は少ない。」のとで、どちらを選ぶのかという究極の選択だと思えるのです。

カリギュラ帝はその悪逆非道ぶりで相当数の人を殺したことは確かです。しかし、五賢帝の一人、名君とうたわれたハドリアヌス帝の大規模な対外戦争で死んだ人は、カリギュラ帝の場合とは比較にならないほど多いのです。それなのに、単純にカリギュラは暴君で、ハドリアヌスは名君と言っていいのかという問題です。私自身、タイムマシンでローマ帝国に行くことになったら、カリギュラ帝の時代に行った方が、生きながら得る可能性が高いように思えてくるのです。

このようなカリギュラの論理の問題は、弁護士業務の中で現実にでてきます。たとえば民事訴訟の場合、土地をめぐる紛争などがあるんですね。私も何度かやったことがあります。隣の土地との境界がどこかで争われるのですが、その違いというのは数センチほど、金額にしても10万円程度の場合があるわけです。こういうときに弁護士としては、どうしても言ってしまいます。

「不満はあるかもしれませんが、裁判までしたならば、測量の費用や弁護士費用で、直ぐに100万円以上かかりますよ。わずか10万円の争いなんですから、譲った方がずっと損害が小さいですよ。」こんな風に言うと、依頼者に怒られるんです。
「どちらが損か得かの話しじゃないでしょう。どっちが正しいかの話しじゃないですか!!」
こういうときには、何か自分がカリギュラ帝になったような気がしてきます。

民事事件ならまだしも、刑事事件となりますと、さらに深刻です。例えば電車内での痴漢事件などで逮捕勾留されている依頼者の中には、「自分は絶対にやっていない。」という方は一定数いるのです。しかし、ここで無罪を争って戦うと、大変な犠牲が強いられます。たまに、痴漢事件で冤罪が認められたなんて、ニュースでやっていますよね。しかし、そこに至るまでには、長期間身体拘束が続いたうえ、会社を解雇され、離婚までしてと、大変な犠牲が付いてくるんです。そんなわけで依頼者の奥さんからは、「嘘でもいいから認めるように言ってください。家族がどうなってもいいんですか!」と頼まれるのが通常です。

冤罪で捕まっている人にとって、国家権力というのはまさにカリギュラ帝のように理不尽なものですよね。その理不尽さを受け入れても、自分や家族のための犠牲を小さくすることを選ぶのか、あくまでも理不尽さとは命をかけても戦うのか、非常に大きな問題です。

こういう場合、弁護士倫理の教科書には、あくまでも戦うべきだと書いてあります。しかし、本当にそれが依頼者のために良いことなのか、「カリギュラ弁護士」としては、悩みが尽きないのです。

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◇ 弁護士より一言
小学1 年生の息子が、ダジャレに凝っています。食事の時間いろいろと披露してくれました。
「猫が寝ころんだ」「肉が憎い」「そんな言い訳して良いわけ?」「サラダの皿だ。」

そこで私も、父親としての実力を見せるときだと考えたんです!
「あしたはアシカを見に水族館に行こう。」
「僕は手だよ。あっしは足です。」

息子には、「どこがダジャレなの?」と聞かれました。
小学校5年と6年の娘たちは、呆れたような顔でパパを見るんです。ううう。。。

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