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私の司法試験受験時代の思い出-実質大学卒業1年目

平成20年 1月18日:初稿
○私は、本来は昭和50年3月東北大学法学部4年時終了で卒業予定でしたが、司法試験受験のため1科目だけ残して留年し大学の図書館で受験勉強を継続する予定でした。ところが予想外の中耳炎の悪化など身体の不調のため4年終了時の3月に郷里の気仙沼に帰り、実質卒業1年目の昭和50年3月から気仙沼で1人受験勉強を続け、合格目標の2回目の短答式試験に臨みました。

○しかし昭和50年5月の短答式試験も不合格でした。今でも良く覚えていますが、この不合格は私にとって大変な衝撃で、不合格が判った時は悔しくて悔しくて一人部屋にこもって大声を上げて泣きました。その年の3月に高校時代以来7年ぶりに悪化した慢性中耳炎のひどい耳だれと耳鳴りに苦しみながらも自分なりに随分頑張り合格出来るものと自惚れていたからでした。

○事後に受験新報に再現された短答式試験問題で解答合わせをした結果、合格点に1点及びませんでした。司法試験不合格の報で泣いたのは後にも先にも昭和50年5月2回目の短答式試験の1回だけでした。このとき悔しくて泣きましたが、当時の実力は到底論文式試験の合格段階にはほど遠く、仮に短答式試験に合格しても論文式試験ではねられることは明白でした。まさに「盲蛇に怖じず」の時代でした。

○昭和50年3月に5年ぶりで再発した慢性中耳炎のひどい耳だれは5月には治まっていましたが、耳の中で蝉が鳴くようなひどい耳鳴りが残り、これが気になって仕方なく、日帰りで仙台の有名病院を何件か訪ねて、耳鳴り改善の薬を処方して貰いました。しかし耳だれは止まっても耳鳴りは全く治まる気配が無く不安を抱えての受験勉強を気仙沼市立図書館に通って続けました。

○気仙沼という田舎でたった1人で司法試験勉強を続けることの不安を感じた私は、昭和50年8月、気仙沼高校先輩で昭和47年に司法試験に合格し昭和50年4月から福島市内で弁護士となりたまたまお盆休みで帰省していた気仙沼大島出身の小野寺信一さんにお目通りを願いました。

○当時気仙沼市南町にあった「マンボ」と言う喫茶店でお会いしましたが、私が持参したサブノートを見て、「小松君、このようなノートの取り方では、何時まで経っても受からないよ。このノートでは、小松君の考えが判らないからだ。司法試験では、この論点について君はどのように考えているのかを聞いている。君の考えを確立しないとダメだ。」とズバリ指摘され、衝撃を受けました。

○そして昭和50年10月、小野寺さんの受験仲間でその年の司法試験合格したばかりのUさん(当時埼玉県在住)をご紹介され、論文の特訓を通信指導で受けることになりました。このUさんからの受験指導が私の本当の意味での司法試験受験勉強の始まりでした。
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