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10年数年前にある高校で刑事手続について講演したレジュメ公開

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平成28年 3月19日(土):初稿
○平成28年1月18日午後5時30分から午後8時まで当事務所勤務弁護士、元勤務弁護士、元司法修習生等いわば身内を原則として、私を含めて10名参加し、当事務所703号会議室で、第1回交通事故実務研究会を開催しました。703号会議室テーブルには、PC用トリプルディスプレイの外にお客様用ディスプレイが5台設置されて、最大11名が会議室を囲んでディスプレイを見ることができますので、10名参加は丁度良い人数です。身内以外は2名で、一人は当HP交通事故サイトの愛読者で私に交通事故訴訟実務研究会を立ち上げて欲しいと要請された方、もう一人は保険会社に精通している方です。

○平成27年11月に研究会開催の要請を受け、第1回は平成28年3月18日と決め、私が第1回目の講師となっていましたが、当日まで全く準備をしておらず、3月18日は打ち合わせを1件入れただけで、あとは、講義レジュメ作りに徹しました。私は、講義を依頼されたときは、先ず桐システム「講義録」に話すとおりの「台本」を入力して作成し、事前に見出しだけのレジュメを、事後に全文レジュメを配布するやり方をしています。

○その桐システム「講義録」には相当数のデータが入力されていますが、10数年前にある高校で弁護士の仕事についての講義を依頼されたときのレジュメがありました。その中に、平成20年に引退宣言をして、殆どやっていない刑事事件のレジュメがあり、懐かしく読み込みました。高校生向けに判りやすく書いたつもりですが、そうでもないなと反省し、また、例によって正確性に欠けるとも反省しました(^^;)。以下、公開します。

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『 No.10 : 刑事裁判制度の仕組み』
今の刑事裁判制度の考え方は、戦前の職権(糾問)主義から当事者主義に変わった。
糾問主義とは、裁判官が自ら捜査し、判断するもので極端に言えばTVの遠山の金さんである。金さんは自分で捜査し、お白州にしょっ引き、自分で判断し、罪を言い渡す。しかし現実には金さんのようなスーパーマンはあり得ないと言う思想から、当事者主義に変わった。

当事者主義とは、捜査機関と、判断機関を峻別するものであり、捜査は警察・検察が行い、検察官が起訴した検察官の主張を、裁判官は判断するだけのいわばレフリーに徹しろと言う考えである。

この考えの根底には人間は全能ではなく過ちを犯すものであるとの前提がある。捜査には見込みが必須であり、一人の人が特定の見込みを持って捜査すればどうしてもその見込みに縛られて公平な判断が出来なくなる、従って判断は見込みを持たない第三者の裁判官にさせるべきとなる。

『 No.11 : 無罪の推定』
世の中の安定を保つため犯罪を犯した人に刑罰を科して犯罪を抑止しするのが刑法の目的であるが、昔はリンチ刑であった。リンチは、どうしてもその場の雰囲気に流れ犯罪内容を良く吟味しなくなる。そのため多くの人が無実の罪をかぶってきた。そこでリンチは止めて冷静に犯罪者の言い分も聞いて刑を決める考えが出てきた。

先ず予め法律で定めていない限り刑を課してはならないと言う罪刑法定主義の考えが出来、更に被告人は無罪を推定され、言いたくないことは言わなくても良い黙秘権が保障され、自白だけでは有罪と出来ないと言うような決まりが出来た。

これらの考えは、たとえ百人の犯人を逃がしても、一人の冤罪(無実の人を有罪になる)者を出すなと言う考えである。

『 No.12 : 刑事裁判での弁護士の役割』
刑事裁判は、検察官の主張が正しいかどうか裁判官が判断するものであるが、権力を持たない被告人は検察官の前では圧倒的に力が弱く、被告人の立場に立って被告人に光を当てるのが弁護人の役割である。

裁判官が判断するのはあくまで検察官の主張であり、実際の事実ではない。実際の事実は、神のみぞ知るであり、裁判官は検察官の主張が、法律で定められた証拠に基づき、99.9%有罪であると確信出来ない限り有罪とは出来ない。

被告人が無罪を主張する場合、検察官の主張は立証できていないから無罪であると被告人の立場で主張するのが弁護人の役割である。

『 No.13 : 守大介氏事件』
これから裁判が始まるが、当事者主義の立場では、裁判の対象は、あくまで守大介氏が筋弛緩剤を注射して患者を殺したという検察官の主張である。実際に守氏が筋弛緩剤を注射したかどうかではない。
極端に言えば、仮に守大介氏が実際筋弛緩剤を注射して患者を殺していたとしても検察官の立証が主張が法律で定められた証拠によって立証されていない場合は、無罪となる。

例えば腕利きの弁護士と、間抜けな検察官が対峙し、検察官が必要な捜査・立証を怠り、その点を腕利き弁護士が強力に指摘して、実際は有罪なのに無罪判決を取った場合、非難されるべきは立証責任を負う検察官であり、弁護士ではない。
世間では、守氏を有罪と決めつけ、守弁護団に非難の風潮もあるが、刑事訴訟の考え方からすれば守弁護団は全く非難に値せず、弁護士として当然の事をしている。

『 No.14 : 実体的真実と手続的真実』
裁判で裁くのはあくまで過去の事実である。過去の事実はもはや人が見ることは出来ない。残された痕跡-証拠で推測するしかない。証拠で推測するルールを決めるのが刑事訴訟法、民事訴訟法など手続法と呼ばれる法律である。

例えばB氏宛の金100万円の借用証書にA氏の署名押印があった場合、押印がA氏の印鑑で押された場合その署名はA氏の意思に基づく署名と推定され、最終的には借用書全体がA氏の意思で作成されたもので、A氏はB氏から100万円を借りたと推定される。A氏が100万円借りたことが無いという事実を証明するためには例えばC氏がA氏の印鑑を盗んで勝手に押印して借用書を作ったこととをA氏自身が立証しなければならない。

もし借用書なしでAさんがBさんからお金を借りた場合、裁判で借りた覚えがないとしらを切れば裁判所としては証拠がない以上、実際には借りていたとしても借りた事実を認定できず借りていないという認定になる。
要するに裁判での認定は、手続で決めた証拠によってやったことがみとめられるかどうかの手続的真実であり、実際にやったかどうかの実体的真実ではない。

『 No.15 : 実体的真実と手続的真実の葛藤』
被告人が、ホントは自分は殺人を犯している、しかし、証拠がないはずだ。だから弁護人として徹底して無罪を主張して欲しいと要請された場合どうするか。
弁護人の真実義務の問題で、この点が一番難しい。

教科書通りのやり方は、弁護人としては先ず真実を言うべしと言う助言をすべき。しかしその助言に被告人が応じない場合、弁護人としては、出てきた証拠では有罪は認定できない等主張をすべきで、辞任は許されない。何故なら辞任によって被告人に不利な状況になるから。

結局、あくまで手続的真実の追究として、出てきた証拠では有罪には出来ないと言う主張に徹すべき事になる。その結果、真犯人が無罪になる場合もある。この結果は、繰り返すが、弁護人のせいではなく、立証が出来なかった検察官の責任である。

尚、弁護人の任務はあくまで被告人の正当な利益の擁護であり、被告人の罪障隠滅、偽証工作まで弁護人が手伝うことは到底許されない。

『 No.16 : 実際例-覚醒剤使用事件』
暴力団員Bの事務所に警察の捜索が入ったとき、たまたまB事務所に居たAが明らかに覚醒剤症状で任意で尿検査をされ、覚醒剤が検出され、Aは使用剤で逮捕された。Aはそれ以前の覚醒剤使用裁判で執行猶予を判決を受け釈放されて1週間目のことであった。

Aは、当初、前日にスナックで誰かが自分のウイスキーに覚醒剤を入れたのを知らずに飲んだと主張。裁判になってからは、裁判官に前日、B事務所台所で白い米粒のようなものを発見した、何だろうと思って口にしたが、それが覚醒剤だったと主張を変えた。

一審で有罪となり、Aはあくまで無罪を主張し控訴した。私が控訴審での国選弁護人となった。私は記録上Aの主張は見え透いた嘘であり、覚醒剤使用は間違いないと思い、最初の接見でそのことを伝えると実はやっていたと認めた。

ところが2回目以降やはりやっていないので無罪を主張して欲しいと言う。私は裁判長に辞任を申し出たが、認められず弁護を続行した。やる気にならず手抜き弁護をしようかと思ったが、たまたまケープフィアという手抜き弁護をした被告人に復讐される映画を見て、反省し、被告人の主張に沿って真面目に弁護士したが、やはり有罪となった。
それにしてもロバート・デニーロは、怖かった。

『 No.17 : 実際例-OL殺人事件』
Oと言う凶暴な男が居た。かれは女性を暴行して殺し、且つ死体を焼いて畑に捨てた罪で起訴された。しかしOについた刑事弁護士として有名なN弁護士の腕により、第一審有罪が控訴審で証拠不十分により無罪となり釈放され、最高裁でも無罪となって無罪確定した。

ところがOはその数年後再度女性を暴行して殺し、死体を焼いて逮捕された。今度は証拠が明白であり、殺人を認め、死刑判決を受けた。彼は、獄中で実は前の事件もホントは自分がやっていたと告白した。

先に無罪を取って有名になったN弁護士は、今度は一転して非難される立場になった。前の裁判の時にN弁護士が、Oを説得して認めさせ、潔く刑に服させていたら後の被害者は出なかったはずであると非難された。N弁護士は慟哭の手記を週刊誌に上げた。

しかし現行刑事手続を前提とする限りN弁護士は非難されるべきではない。あくまで有罪の立証が出来なかった検察官の責任である。

『 No.18 : 刑事弁護士の仕事の難しさ』
最近、刑事弁護に当たり、あくまで手続的真実の追究だけすればよいと言う考えに疑問を持ってきた。ホントにその被告人にとって重要なことは自分の犯した罪について心から反省し、普通の真面目な人間に更生することである。

たとえ警察・検察がミスを犯して立証が不十分であり、その点をついて被告人が無罪になった場合、被告人の更生という点では却ってマイナスである。被告人は無罪になったことで傲慢になり、自分は何をしても許されるとすら考えるようになり、第2、第3の犯行を重ねるようになる。

かといって弁護人が被告人を有罪と思ってもそれが事実とは限らない。事実は神のみぞ知るが手続的真実主義の大前提である。弁護人は神ではない。
手続的真実主義に徹するか、神に近づくか、極めて難しい問題である。


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