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別居後財産増加財産を除外し別居時財産で財産分与を命じた判例紹介

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平成30年12月 1日(土):初稿
○「別居後財産減少財産を除外し別居時財産で財産分与を命じた判例紹介」の続きで、婚姻解消に基づく財産分与(大部分農地)審判において、この財産の維持について申立人(妻)の寄与率は相手方(夫)のそれよりも遙かに大であること、申立人の生計は農業収入のみに依存している反面、相手方は農業以外に賃金収入があり、生活が安定していること、申立人と相手方が離婚するに至つた原因は相手方の不貞行為にあることなどの事情を考慮して、相手方名義の宅地、田32筆のうち22筆を申立人に分与した昭和46年10月13日富山家裁審判(家庭裁判月報25巻1号60頁、判例タイムズ291号369頁)を紹介します。

○この審判では、申立人が相手方と別居後に購入した田について、「申立人は相手方と別居した後に、申立人の所得から買求めた申立人名義の田2筆6畝15歩を所有するが、これは夫婦の共有財産とはなし難いので、本件財産分与において対象に入れないこととする。」としていることも注目されます。

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主   文
一 相手方は、申立人に対し、財産分与として、別紙目録記載の宅地および田を分与し、相手方において手続費用負担のうえこれが所有権移転登記手続をなせ。
二 審判費用は、これを2分し、その各1を申立人と相手方との各負担とする。

理   由
第一 富山地方法務局登記官作成の登記簿謄本、○○町長作成の戸籍謄本、富山地方裁判所の裁判上和解の調書正本、富山家庭裁判所調査官田近尚作成の調査報告書および同報告書中の申立人、相手方、参考人A、同F、同Eの各陳述記載、○○農業協同組合長よりの回答書、証人Aの供述、申立人審問の結果を総合すると以下の事実が認められる。

一 当事者双方の婚姻事情
 申立人の舅であり、相手方の元の養父であつた申立外A(明治26年6月25日生)は、農家の三男として生れ、居村に分家して、小作農を営んでいた者であるが、妻Bとの間に子がなかつたため、本家の兄Cの二男Dを養子に迎え、次いて申立人を嫁として迎えて結婚させた。同申立人夫婦間に昭和17年10月8日長男Eが生れた。
 戦時中Dは応召し、申立人はA夫婦に協力し、3人で他人の委託田を含めて四町歩に近い田を耕作していたが、その労苦は並大抵なものではなかつた。殊に申立人の働きぶりは、男勝りで、なりふり構わずよく働き、舅Aにとつては、めがねに叶つたよい嫁であつた。

 ところが、Dは昭和20年6月5日比島で戦死し、戦後委託田を返還したが、なお2町6反歩位の田を自小作していたので、A夫婦は、年若い申立人を未亡人として一生を終えさせることを不憫に思い、かたがた農業労力を得たいとの考えから、戦死したDの弟である相手方と結婚させたいと考えて、相手方を養子として迎えて入籍させたうえ、昭和22年12月申立人と相手方とを結婚させ同23年5月21日婚姻の届出をなした。時に申立人は27歳、相手方は25歳、Dの遺児Eは5歳であつた。

二 婚姻後の状況
 相手方は、小学校卒業後、鉄道教習所に入り、国鉄○○線○○駅の駅員として勤めていたが、申立人と結婚後国鉄を退職して農業に従事し、かたわら自動車会社に働いたり、食料品や果物のブローカーをしていたが、農業の経験はなく、百姓は好きな方ではなかつた。そして米作だけでは収入もすくないから、多角経営でなければならぬとして、肉牛を飼つたり、養豚をしたりし、社交好きで人の世話をよくした。

 しかしこうした相手方の性格、態度、働きぶりは、朝早くから、晩遅くまで野良に出て、汗と泥にまみれて働き、投機的農業を危険視するAや申立人には、いかにも怠惰で余計な暇と金をついやす男にみえた。一方相手方は、申立人において秋山家に入家したのは自分の方が先だから、自分の方が偉いんだというような態度で、相手方を見下げる申立人の態度に好感をもつことができなかつた。しかし夫婦間に昭和23年9月13日に長男明が、同26年4月4日に二男宏が出生し、婚姻後10数年の間は、多少のいざこざはあつたが、破局にまで至ることはなかつた。

三 離婚に至るまでの事情
(イ)、相手方は、昭和34年2月○○町町会議員選挙に立候補して落選し、同38年2月再度立候補して当選した。町会議員選挙に立候補するについては、Aや申立人は、そのような役職に就くと、社交も増え、外出する機会も多くなつて、それでなくとも百姓仕事にあまり精を出さない相手方が役職にことよせて、いよいよ仕事をしなくなり、辛い目にあうのはAや申立人であるとして、極力反対し、選挙運動に対しても冷やかな態度をとつていた。事実相手方が当選した後は、予想どおり外出の機会が多くなり、そのため両者の間は自然冷めたくなつていつた。

(ロ)、昭和38年1月Aが、亡養子D、先代信助の年忌法要を営むに際し、仏壇を購入したことで、相手方はそのようなものに金を費やすのは,ぜいたくだと云つて反対し、口論の末Aを殴打するに至つた。

(ハ)、相手方は、そのころから、○○町出身で当時富山市内の飲食店街で飲屋を経営していた申立外F方に出入りするようになつて、同女と情交関係を結ぶに至つた。そして相手方は、これまで住居の近くに豚舎を建てて養豚をしていたのであるが、昭和38年ごろから、同豚舎の入口附近の一部を改造して一室を作り殆んど自宅に戻らないで、この豚舎に起居し、上記F方を訪ねて行つて、同女との関係を続けていた。 

(ニ)、そこで申立人およびAは、昭和39年12月相手方を相手取つて、富山家庭裁判所に、家庭環境調整の調停を申立て、相手方所有名義の農地等の分与ならびに借財の決済を求め、前後10回余の調停の末、昭和41年2月一応当事者間で話合うことにするとして取下げたが、両者間の紛争は解決するに至らなかつた。そこで、昭和42年10月2日申立人およびA夫婦が原告となり、相手方を被告として、富山地方裁判所に離婚ならびに離縁の訴訟を提起し、同43年2月23日裁判所の勧告により協議離婚ならびに協議離縁することの裁判上の和解が成立するに至つた。そして同月29日協議離婚ならびに協議離縁の届出を了した。なお上記裁判上の和解の際、申立人と相手方間の長男Gの親権者を相手方、二男Hの親権者を申立人と定めた。

(ホ)、相手方は、上記の協議離婚前の申立人と別居していた昭和41年3月ころ、情交関係にあつたFの経営する飲食店の経営がおもわしくないため、これを閉店して、同女を上記豚舎の一部を改造してこしらえた住居に引き入れて、同棲生活をはじめ、同女に養豚を手伝わせて、自らは○○会社の運転手として働き生活を営んでいた。

(ヘ)、申立人は、相手方が家を出た後も、A夫婦や先夫の子、相手方との間に生れた子二人とともに生活を続け、一家の中心となつて、先夫の子Eらと力を合せて農業に励んでいた。

四 財産分与の対象となる財産およびその現況について
(イ)、相手方名義の別紙目録記載の宅地一筆および申立人が現在耕作している田22筆と、相手方が申立人が耕作していた田のうちから取上げて行つた次の(ロ)記載の田9筆が財産分与の対象となる財産である。
 なお、申立人は相手方と別居した後に、申立人の所得から買求めた申立人名義の田2筆6畝15歩を所有するが、これは夫婦の共有財産とはなし難いので、本件財産分与において対象に入れないこととする。

(ロ)、相手方は上記Fと同棲生活を始めた昭和41年に申立人方に来て、田圃がないと生活ができないから、こことここを耕作させろといつて、申立人が耕作していた田のうちから、次の9筆を取上げて行つて、自動車運転手のかたわら余暇にこれを耕作していた。もつとも申立人から取上げて行つた九筆のうち、412番の田を○○開発に、559番の田を○○某に、それぞれ売却処分し、また382番の田は、申立外Iと同面積の田と交換して、現在7筆の田を耕作している。

○○町田島
一 280番 田 492平方米
二 281番 田 479〃
三 382番 田 985〃
四 412番 田 223〃
五 459番 田 991〃
六 559番 田 535〃
七 580番 田 380〃
八 585番 田 393〃
○○町宮ケ島
九 25番 田 823〃
の9筆

(ハ)、上記の宅地上には、A所有の木造瓦葺平家および物置が建在し、Aおよび申立人らが生活を営んでいる。

(ニ)、上記の耕作田のうち、申立人が現在耕作している487番、相手方が現在耕作している280番、281番、相手方が他に売却した412番の4筆以外の田は、いずれもAが小作田として耕作していた田で、申立人がAに協力して耕作していた結果戦後自作農創設特別措置法16条の規定により、また宅地は同法29条の規定により附帯施設として取得することができ得たものである。
 また上記四筆の田は、戦後Aが金を出して購入したものである。

(ホ)、上記の宅地、田が相手方名義で登記されるに至つたいきさつは、上記の四筆を除く以外のものは、すべて戦後の農地開放の際、小作農であつたAが国から譲渡を受けることになつていたのであるが、相手方は当時既に秋山家の養子となつて農業に従事し、居村○○部落の農地改革促進委員をしていた関係上、いずれはA死亡の際には、農業承継者となるのは、自分であるとの考えから、この際自己名義で国から譲渡を受けておくに如くはないと考え、買受名義人をAとしないで、自己名義で自作農創設特別措置法に基いて取得登記をなしたものである。
 当時この事実をAにおいても、また申立人においても知つていたが、今日の事態に立至ることを考えていなかつたため、別段異議を申し述べなかつた。

 また上記の4筆の田は、戦後Aが申立人の協力による農業所得のうちから、先夫の子E名義にして、同人に残してやる考えで昭和33年と同36年の2度に購入代金を相手方に渡して、買入ならびにこれが登記手続を頼んだところ、相手方はE名義としないで自己名義に登記手続をなしたものである。

 以上のように、相手方名義となつている田の大部分は、戦前からAが小作し、申立人が戦中戦後Aに協力して耕作維持につとめた結果、農地開放の際取得することができたものであり、また上記の4筆の田についても、戦後申立人の協力による農業所得のうちから購入したものである。

第二 結論
 以上の如く、当事者間において、既に財産分与が事実上行われているものとみられ、この現実に即して、その取得分を定めることが、最も適切妥当なものと考えられる。

 そうすると、申立人において取得することとなる物件は、宅地1筆、田22筆であり、一方相手方の手許に残る田は、9筆ということになり、如何にも均衡を失するやにもみられるが、本件の財産を取得するについての申立人の寄与率は、相手方の寄与率より遥かに大であること、殊に申立人が昭和36年畦畔ブロックに構造替えをした際の経費として、○○金融公庫より借受けた金28万9420円の分割弁済についても現在も引続いてなしていること、協議離婚の際長男Gの親権者を相手方と定めたが、長男Gにおいて、相手方の許に行こうとしないため、申立人らと生活を共にしており、将来も同人の面倒をみてゆく考えにおり、将来先夫との間の子や相手方との間の子2人に対し、公平に財産分けをしてやりたい気持ちを多分に有していること、舅Aにおいても、苦労した申立人に対して、なるべく多くの財産分与を望んでいること、また両者の生活の現状においても、相手方は、現在の妻Fに養豚の手伝をさせて、自らは自動車の運転手として、○○会社に勤め、その傍ら耕作面積が申立人より少ないとはいえ、耕作して生活が安定していること、一方申立人は農業だけに頼つて、一家を支えている専業農家で、他に収入はなく、現在耕作している耕作田を取上げられることになれば、たちまち生活の不安をきたすおそれがあること、一方本件の離婚原因は、相手方の不貞行為によるものであるから、有責配偶者に対する財産分与制度の制裁的機能をも合せ考え、その他の一切の事情を考慮すれば、相手方は申立人に対し、財産分与として、別紙目録記載の宅地、田を分与し、相手方において手続費用負担のうえ、その所有権の移転登記手続をすることが相当と認められる。
 よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 神野栄一)
以上:5,032文字

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